現実の世界でメジャーリーグやプロ野球の取材をしていると、多くの野球を題材にした小説には、どうもシラケる場面に出くわすことが多い。しかもその多くがちょっとした選手の仕草や野球の場面の描写なのである。
「そんなことありえないでしょう」
思わずそう言いたくなるような記述に出会うと、すべてのストーリーがシラケたものに感じられてしまうわけだ。
しかし、本書をはじめ本城さんの野球ものや競馬ものでは、そういうディテールでいかにも「あるある! なるほど!」とひざを打ちたくなるような描写に出会い、そのことが物語の持つストーリーをより現実味のある、強固なものとして支えることにつながっている。
例えば本書では投手がボールを握るときの握り方が、謎解きの一つの伏線となっている。
投手がボールを鷲.みにするのか、それとも人差し指と中指で握るのか。実は本城さんがこのことを以前からしつこく取材していたのを知っている。そうして知人のプロ野球選手(元も含む)への丹念な取材の末に、一つのプロットが生まれて物語の中で重要な役割を果たしている。
精密なディテールが小説という全体の虚構を支えているからこそ、読者は虚構の世界から実像の世界へと引き込まれていくわけである。
もともと本城さんはサンケイスポーツで野球の取材をして、その後は米国に留学してスポーツマネージメントを勉強したという経歴の持ち主だ。米国留学時代に代理人についても様々な知識や情報を仕入れている訳である。
帰国後は同紙で野球報道のデスクや競馬雑誌の編集長を歴任して、専門職としての知識を広げてきた。何よりも疑問に思ったことへの取材のしつこさは、ライバル紙の記者として同じ現場に立っていたときから脅威に感じたものだった。
いい野球記者がいい野球小説を書けるかどうかは分からない。ただ、丹念にディテールを追い求めるしつこさがなければ、スポーツ小説は絶対に面白くならないのである。そこがストーリーテラーとしての本城雅人の魅力だと思っている。