書評

『夢の花、咲く』解説

文: 大矢 博子 (書評家)

『夢の花、咲く』 (梶よう子 著)

 本書は梶よう子のデビュー作『一朝の夢』(文春文庫)の前日譚、五年前の話である。刊行は『一朝の夢』の方が先だが、物語の時系列は本書の方が前ということで、どちらから読んでも差し支えない。

 舞台は幕末、主人公の中根興三郎は急死した兄に代わって奉行所の同心を務めている。ただ、兄と違って気が弱く剣の腕もない。それと見抜いた上司から命じられたのは、姓名係──つまり名簿係。はっきり言って閑職だ。けれど興三郎にとってはもっけの幸い。なぜなら興三郎には、仕事より情熱を傾けている大切な趣味があったから。

 朝顔の栽培である。

 それも「変化朝顔」だ。自分で交配させ、珍しい色や形の朝顔を咲かせる。

 この時代、珍しい花を咲かせればその種が高値で取引されることもあって、趣味のみならず投機目的で朝顔を扱う人は身分を問わず多かったという。しかし興三郎はお金目当てではなく、ただ純粋に花に魅せられての栽培だった。むしろ種の取れない一代限りの変化朝顔に、取り柄のない自分を重ね合わせて愛おしんでいた。

 純粋な分、情熱は強い。仕事より朝顔。三度の飯より朝顔。出仕前に植木屋によって朝顔談義に花を咲かせたり、見合いの席で朝顔について一時間も延々と語って相手にドン引きされたりする。だから嫁の来手もない。でも一向に気にしない。朝顔があればそれでいいから。

 はっきり言って、オタクだ。朝顔オタクだ。

 そんなオタクの興三郎のもとに、同心であり友人の岡崎が訊ねてきたところから物語は動き出す。山谷堀の岸で職人らしい若い男の遺骸が見つかったという。背中には刀の切り傷があった。男は「ヨ」「ウ」の二文字を書き残しており、もしかしたら下手人の名前かもしれない。ついては姓名係の興三郎に調べてもらえないかというのだ。

 その二文字だけでは雲を掴むような話だが、岡崎に引きずられるように遺体を見た興三郎は、その手の特徴が植木職人特有の物だと気付く。植木職人なら、朝顔好きの興三郎には馴染みがいる。話を聞くうちに朝顔を巡る賭場の存在が明らかになり、殺人事件の探索も進展するかと思われたその時――

 安政の大地震が起きる。

 江戸の町は壊滅し、殺人事件どころではなくなるのである。

 物語はここから、地震の被害や対応、復興に向けて起きる問題などが興三郎の目を通して綴られる。その一方で、先の殺人事件も、地震後の混乱の中で大きく展開が変わることになる。

 梶よう子の時代小説は現代の映し絵だ、と冒頭に書いた。そのひとつが、この地震とその後のありようだ。

 幕府はすぐに、被害の大きかった浅草や深川、幸橋門外にお救い小屋(避難所)を建てた。興三郎ら末端の武士(つまり現場の公務員)は被災地に赴いて被害の様子を把握し、お救い小屋の差配をし、避難民を管理する。火事場泥棒が出ないよう、見回り、取り締まる。お救い小屋には、裕福な者から施行(寄付)が届く。食料や日用品が差し入れられる。炊き出しもある。髪を結えば気持ちがしゃんとするからと、髪結いを手配する大店の奥方もいる。絵描きや戯作者は苦難を笑い飛ばす鯰絵を描いて、被災者に笑顔を届けた。

 その一方で、小屋内で割り振られた広さを隣と比べて文句を言う者が出る。身内を亡くし気落ちした者がひっそりと死ぬ。帰る家もないのに閉鎖されるお救い小屋。復興に必要な材木の値は上がり、大工などの職人は仕事が増え、賃金も高騰していく。それを揶揄する鯰絵が出回る。

 何より注目すべきは、この時、幕府では老中首座が阿部正弘から堀田正睦に変わったということだ。江戸の町が壊滅して復興が叫ばれているとき、幕府は政権争いをしているのである。しかも、黒船という外圧もある。

 思い出すなという方が無理だ。

 あの震災のとき、現地で滅私の働きをしてくれた多くの公務員たち。世界中から集まった義捐金や支援物資。自らの仕事や技術を生かして現地で活躍したボランティア。いろんな人ができることを懸命にやった。それでも、力に限度があることを思い知った。そのとき国会は、時の政権の揚げ足取りをしていた。経済協定や領土問題の外圧に揺れていた。政府と被災地の間に入った人々の苦労。帰る場所のない被災者。上がった電気代。

 作中、ある人物が老中の異動を聞いてこんなことを言う。 「それでなくとも外国との対応に追われているこのときに、とんだ天災だ。ご公儀も頭を抱えるしかないな。だが町家の再建とどちらが急務か、秤にかけられても困る」

 重ねるなという方がムリだ。

 もちろん梶よう子はわかって書いている。むしろそのつもりで書いている。

 冒頭で、著者の作品は現代の映し絵だと書いた。たとえば『ふくろう』はいじめ問題を扱っている。『迷子石』はひきこもり。『立身いたしたく候』は就活とパワハラだ。そして本書では、東日本大震災と同じ問題が一五〇年前にも起きていたことを書いた。

 表面だけみれば、人がいかに歴史に学ばないか、いかに同じ過ちを繰り返すかを感じ、暗澹たる気分になりかねない。しかし梶よう子は意志を持ってそれを書いた。なぜか。

 そのとき、人々が乗り越えたということを書くためだ。私たちが悩んでいること、苦しんでいることを、昔の人も同じように悩み、苦しみ、そして乗り越えたのだと。あてにならない幕府など頼らず、ひとりひとりが試行錯誤しながらも、自分の出来る範囲でできることを懸命にやったのだと。だから江戸はもう一度元気になったのだと。そうし てこの世は続いてきたのだと。

 同じことが起きたら、また同じように乗り越えればいい。私たちにはそれができるんだから。そんな人間の強さ、しなやかさ、逞しさを、梶よう子は書いているのだ。

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夢の花、咲く
梶よう子・著

定価:600円+税 発売日:2014年06月10日

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