書評

『夢の花、咲く』解説

文: 大矢 博子 (書評家)

『夢の花、咲く』 (梶よう子 著)

 そこで主人公が朝顔オタクということが効いてくる。

 興三郎は、血を見ると気分が悪くなるくらい臆病で、奉行所で活躍できる器ではない。朝顔以外のことにはまったく気の回らない、役立たずのぼんやり同心だ。

 そんな興三郎も、地震のあと、被災した町や人々の悲惨さを見て、朝顔どころではないと感じる。朝顔なんて何の役にも立たない。珍しい朝顔を咲かせるなんて夢にどんな意味があるのかと、放り出してしまう。そんな興三郎を見て彼の下男が心配する場面が印象的だ。

 覚えがある。あの震災のとき、医者や消防士といった技術を持った人が被災地に入り、多くの人を救った。歌手や俳優が被災地を慰問し、避難所を元気づけた。その一方で、何の役にも立てない自分に歯痒い思いをした人も多かった。自分が安全な場所で呑気に暮らしていることに罪悪感すら持った。無気力と過剰な自粛ムードが世を覆った。

 そんな人に、興三郎の決意を読んで欲しい。仕事もできないただのオタクが未曾有の災害を前に、「自分にできること」を考え、実行した。そのくだりを読んでほしい。

 できないことなどない。何もできない人などいない。そう、意を強くする。むしろオ タクだからこそ、他の人には思いつかないようなことを考え、強いメッセージを発することができるのだ。人によって得手不得手はある。強い人も弱い人もいる。けれどただ無価値な人など、どこにもいないのである。

 お救い小屋閉鎖の日、興三郎が皆に何をしたか。それは何故か。とてもいい場面だ。とても滲みる場面だ。噛み締めるように読んでしまう、そんな場面だ。
 

 話が後手に回ったが、捕物帳としての面白さも見過ごせない。殺人事件の核心が見えてきた段階での災害。ところがそこから、事件と地震が絶妙にリンクしていく。これが本書の面白さだ。謎が深まれば深まるほど、あるいは解かれれば解かれるほど、地震後の復興という現実の社会問題と、殺人事件を追うというフィクションが実に緻密に絡んでくるのだ。謎解きのクライマックスは、興三郎の成長の場面でもある。これは時代ミステリとしても一級品だ。
 

 本書の五年後、『一朝の夢』での興三郎は、相変わらず朝顔栽培に血道をあげている。オタクっぷりにも磨きがかかっている。気の弱さは相変わらずで、仕事もそのまま名簿係だ。そんな中、朝顔が取り持つ縁である武家と知り合いになり、そこからはからずも幕末の政変に巻き込まれていくことになる。

 この気弱な草食系朝顔同心が、けれど土壇場で思わぬ芯を魅せる男が、動乱の幕末に 何を為すのか、どうか本書と併せて楽しまれたい。歴史は断片としてそこにあるのではなく、現代へと続いている。事件があっても災害があっても、人々は逞しく今日を生きてきた。己の役目を見極め、果たしてきた。その積み重ねで、今がある。

 そんな著者のメッセージが伝わるシリーズである。

夢の花、咲く
梶よう子・著

定価:600円+税 発売日:2014年06月10日

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