書評

宝引の辰と仲間たち

文: 泡坂 妻夫 (作家)

『鳥居の赤兵衛――宝引の辰 捕者帳』 (泡坂妻夫 著)

 ところで、そこに住む町人たちはどうだったのか。それには『江戸名所図会』を見るといいだろう。

『江戸名所図会』は神田の名主であった斎藤幸雄と子、孫の三代が三十余年の歳月をついやして書きついだ江戸の絵入り地誌である。全七巻二十冊。

 これも地図と同様、実物は手に入らない。一九六六年より、角川文庫の全六冊本を愛読しているが、もうだいぶぼろぼろだ。

 まずはじめは「江戸東南の市街(いちまち)より内海を望む図」で、元日の朝、太陽が海から顔を覗かせはじめたところが描かれている。大著の幕開けにふさわしい雄大な図である。

 今と違い、高層ビルなどのない時代だから、江戸中から日の出が拝めた。初日の出というとやはりいつもとは違う。多くの人たちは荘厳な日の出を拝んで清清しい気持で新しい年を迎えるのである。

 次は「元旦諸侯登城の図」。町人なら初日の出を拝んで再び蒲団の中に戻ることもできるが、大名となるとそうはいかない。登城して将軍に拝謁しなければならないのだ。登城時刻は卯の刻(午前七時)で、行列を作るには夜中から準備に大忙しだったはずだ。

 行列の先頭は二人で、挟箱(はさみばこ)をかついで並んでいる。そのあとには、直垂(ひたたれ)を着た従者が白い袋に入った長柄傘(ながえかさ)、毛槍(けやり)、長刀(なぎなた)などをそれぞれ持って続き、後方には殿様が乗った乗物のまわりを何人もの家来たちが取り囲んでいる。

 もう一組の行列は、狩衣(かりぎぬ)に烏帽子(えぼし)をつけて馬に乗っている侍が中心になっている。そのうしろに長柄傘、長い槍を持った家来が続いている。

 この行列を近くで見物している町人たちがいる。『図会』にはこのほか無数の町人が登場するのだが、その表情は例外なく明るく、好奇心に満ちている。人人は熱心に寺社を参詣したあと、いそいそとして名所や盛り場を目差すのである。

 江戸市街の中心は日本橋、橋の上には「えっ?」というほど大勢の人が往き来している。祭礼を思わせるような雑踏で橋の下の混雑も負けてはいない。山ほど荷を積み込んだ船や屋形船が川面を埋めつくしている。その間を小形の猪牙船(ちょきぶね)がすいすい通り抜けていく。ちょうど渋滞している道での若者のオートバイのようだ。

 江戸は少し歩けば郊外で、美しい自然に接することができた。

 江戸の地図や『江戸名所図会』を見ていると、決してあくせくしない、ゆったりとした時間が流れているのが判る。たまにはこういう江戸に行ってみたいと思うのだが、現実はそうはいかない。

 それで、江戸を舞台にして、魅力ある人物を活躍させている。宝引の辰、女房のお柳、娘のお景。そして、半端の松吉や算治といった仔分たち。美人の舞踊師匠の白蝶、手妻師の夜光亭浮城、音曲師の清元閑太夫、戯作者の岩沢二亭など。どれも気のいい人ばかりなので、どうか仲良くしてやってください。

鳥居の赤兵衛――宝引の辰 捕者帳
泡坂妻夫・著

定価:本体543円+税 発売日:2007年08月03日

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