蔦屋重三郎――気鋭の戯作者や絵師を起用し、常に新しいものを追い求めた、江戸の若き出版プロデューサー。2025年NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」主人公であるこの蔦屋を、かつて長編小説で描いた谷津矢車さん。10年越しの文庫化を機に、この破天荒な男の魅力や、本書の読みどころに、改めて迫ります。
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「蔦屋」は助け舟だった――
わたしはずっと、本作『蔦屋』が嫌いだった。
学研さんの依頼で本作を書き始めたのは、二〇一三年頃のことだ。
二〇一二年、わたしは江戸期の儒者・国学者の蒲生君平を焦点にした時代ミステリ『蒲生の記』で第十八回歴史群像大賞の優秀賞を頂き、翌年、その縁で書きおろした『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビューした。
二作目のモチーフ選びにはひどく難儀した。一作目が話題になったこともあって、描くべき人を見つけることがなかなか出来なかったのだ。見かねた担当者さんが河鍋暁斎や伊藤若冲などの絵師を提案してくれたものの、イメージがつかず断念し(今となっては書いておけばよかったと後悔している)、担当者さんが破れかぶれに口にした「蔦屋重三郎とかどうですか」という助け船にすがり、企画を立てた。当時、わたしはデビュー作刊行直後で焦っていた。長く小説家として活動できるとは思っておらず、せっかく作家になったのだから出版業界にドデカい爆弾を落としてやるぜェ……、と、世紀末を牛耳るモヒカン軍団の長のような心持ちに背を押されていた。
そんな事情もあって、グルーヴ感に溢れた執筆となった。本作は当初、数名の文化人の視点から重三郎を描く連作短編にする予定だった(自作で例を挙げると『曽呂利』のような)。しかし、プロローグ用の視点人物として書いた丸屋小兵衛の人物像が著者のつぼにハマり、急遽二人のバディものにでっち上げた。版元さんはさぞ腰を抜かしたことだろう。
幸福も災厄も、自分にもたらした
史実の蔦屋重三郎は何でもありの出版人だったらしい。若い頃、世話になっていた版元が潰れた際には看板作家を引き抜いて独立しているし、十ヶ月で百五十枚近い絵を東洲斎写楽に描かせて版行したり、晩年に近い時期、本居宣長に会いに伊勢松坂に足を延ばしてもいる。この蔦屋の姿に灰汁の強い名物出版人像を投影する作品も多いが、わたしはむしろ、天職を見つけて働く人間の清々しさを見た。そして、やりたいことをやって生きる人間特有の明るさを見たのである。きっとそれは、社会に出たはいいが根本的に労働に向いておらず、日々鬱々としていたわたしにとっては理想の大人だったのだろう。
そうして書いた本作は数々の書評を頂いたばかりか、『この時代小説がすごい! 2015年版』(宝島社)で単行本部門七位、オール讀物が主催する本屋が選ぶ時代小説大賞ノミネートといった実績にも恵まれたのだった。
しかしいつからだろう、本作を疎ましく感じるようになったのは。
本作は、わたしに色々な出会いをもたらした。その中には人生を変えるかけがえのないものもあった。その反面、未だにわたしを苛み続ける大きな災厄をもたらした。腹立たしい体験は枚挙に暇がない。
わたしはずっと『蔦屋』を投げ出したかった。キャリアを積む中で色々な趣向を用い、様々な時代・人物を描いてきたのは、『蔦屋』の呪縛から逃れようとしていたからなのだろう。しかし、皮肉にも、わたしは事あるごとに「『蔦屋』の谷津矢車」と紹介され続け、「『蔦屋』みたいな作品を書いてください」と版元さんからオーダーされるようになっていた。
上記の感慨は、商業作家失格と断じざるを得ない。ある若僧が覚悟もなくデビューし、多少売れたことで発生した上昇気流や下降気流に翻弄されたというだけの話なのだ。有り体に言えば、あの頃のわたしは青かった。
長らく本作を文庫化しなかったのは、自分の「青さ」に著者自身が胸焼けを起こしていたからだ。過去など振り返りたくもない。それよりも、まだ見ぬ新作を書き上げ、「『蔦屋』の谷津」を払拭したかった。――勘の良い読者の皆様におかれてはお気づきのことだろうが、そうやって動機の中央に位置してしまっている時点で、わたしにとって『蔦屋』はずっと現在進行形の物事であり続けていた。が、作家としてキャリアを重ねる中で『蔦屋』は徐々に過去の側に押しやられていった。それに従いフラットに『蔦屋』と向き合えるようになり、「昔の自分もまあまあ面白い小説書いてるやんけ」と暢気な感想を抱くに至ったのである。
新たな蔦屋像への期待
そして時は流れ二〇二三年、横浜流星氏が蔦屋重三郎を演じる大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の制作が発表され、文庫化の話が持ち上がった。
書き手からすれば、蔦屋重三郎は「どういう風にも書ける」懐の深さがある。カレー、シチュー、ポトフ、肉じゃが、味噌汁……味付けを選ばず登板できるじゃがいものような存在なのだ。『べらぼう』で蔦屋がどのような味付けをされるのか、蔦屋重三郎を主人公に小説を書いたわたしにも読み切れないところがある。一年間付き合う主人公として、こんなに相応しい存在はあるまい。だからこそ、これからも、様々な書き手によって、新たな蔦屋重三郎像が造形されていくだろう。本作は「蔦屋もの」を形作る水滴の一つに過ぎない。そう思えるようになったからこそ、本作はわたしの中で過去となったのだ。
嫌な話を書き連ねてしまった。もしかしたら「谷津は今でも本作が嫌いなのでは」とご心配の向きもあると思う。だから、はっきり書いておこう。皆さんの手に『蔦屋』文庫版を届けることができて、素直に嬉しい。そして、そうやって心から喜べていることに、今、わたしは胸を撫で下ろしている。
〈著者プロフィール〉
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部卒。2012年、「蒲生の記」で第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。13年に『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー、2作目の『蔦屋』が話題となる。18年、『おもちゃ絵芳藤』で第7回歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。ほかの著書に『曽呂利 秀吉を手玉に取った男』『三人孫市』『しゃらくせえ 鼠小僧伝』『信長さまはもういない』『某には策があり申す 島左近の野望』『しょったれ半蔵』『廉太郎ノオト』『桔梗の旗 明智光秀と光慶』『絵ことば又兵衛』『吉宗の星』『北斗の邦へ翔べ』『ええじゃないか』『ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治』『二月二十六日のサクリファイス』などがある。
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