本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
「弱い」人

「弱い」人

文:高橋 源一郎 (作家)

『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』 (渡辺一史 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『こんな夜更けにバナナかよ』 (渡辺一史・著)

 この本でも指摘しているように、彼らは、「施設」に入れられるか、「家族」(大半は親)の下で暮らす。彼らは、ひとりでは生きられないからだ。だが、「施設」や「家族」の庇護の下では、どれほど手厚い扱いを受けようと、そこに自由はない。そのことを知りつつ、それでも、「弱い」人たちは、「施設」か「家族」の庇護を選ぶ。いや、選ばざるを得ないのである。

「鹿野さん」は、「施設」に入ることも、「家族」の庇護の下で暮らすことも拒み、「自立」の道を選んだ。だが、それがどれほど困難なことなのかは、わたしたち健常者の想像を超えているのである。

「鹿野さん」は、介護する人がいなければ生きていけない。24時間、誰かの介護を必要としている。身体がほとんど動かない「鹿野さん」は、排尿はおろか、寝返りさえ自分ではうてないので、介助者に頼むのである。時には一時間に何度も。あるいは、自発呼吸がほとんど不可能になり、人工呼吸器をつけざるを得なくなった「鹿野さん」は、いつも痰をとってもらわなければならない。うまくとれなければ死んでしまうのだ。

「施設」にいれば、あるいは「家族」の下にいれば、彼らが世話をしてくれる。だが、自立を求めた「鹿野さん」は、介助者を自ら探さなければならなかった。この本は、そんな「鹿野さん」と、彼を支えることになった「介助者」たちの苦闘の記録ということになるだろう。

 その大半が無償のボランティアからなる、のべ1400人もの「介助者」たちが、入れ代わり立ち代わり、「鹿野さん」を訪ねる。そして、その場所、「鹿野さん」が住む家は、1つの戦場となった。「健常者」である「介助者」と、絶望的な状況で生きる「鹿野さん」との間にスムースなコミュニケーションが生まれるわけがない。

 この本を読むうちに、わたしたちは、もっとも「弱い」存在である「鹿野さん」を中心にした、この不思議な共同体に魅かれていくのを感じる。支援を受けなければ生きていけないのに、「わがまま」を貫こうとする「鹿野さん」(身体が動かないのに、エッチな映画を見に行ったり、女の子と付き合ったり、果ては結婚までしてしまう!)を見て、わたしたちは、ホッとしている自分を感じるのだ。

「鹿野さん」にとって、「生きる」ことは、途方もない重力に抗して、あるいは、凄まじい逆風に向かって進むことだった。だが、それは、「鹿野さん」だけではないのだ。ほんとうのところ、わたしたちもまた、見えない重力、感じることのできない風に逆らって生きているのに、そのことに気づかないだけなのである。

文春文庫
こんな夜更けにバナナかよ
筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち
渡辺一史

定価:968円(税込)発売日:2013年07月10日

プレゼント
  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/11/20~2024/11/28
    賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る