高瀬毅というノンフィクション作家の存在に私が注目したのは、一読者としてはけっこう早かったのではないか、とひそかに自負している。
二〇〇三年、私は武蔵野市の辺境の、畑に囲まれたアパートに暮らしていた。近所に不思議な遊歩道があった。犬の散歩をする人や野良猫に餌をやる猫おばさんが行きかい、四季折々の花が咲き乱れている。道は微妙なカーブを描いて進み、やがて中央線の線路に吸収されるように消える。車の往来が少ない道がたくさんあるこの界隈で、なぜわざわざこの遊歩道を作るのか、不思議でならなかった。
ある日私はその遊歩道を通って三鷹駅へ行き、書店に入った。そこの「地元関連書コーナー」で見つけたのが、高瀬さんの『東京コンフィデンシャル』という本だ。ぱらぱらと立ち読みしていたら、いきなりこの不思議な遊歩道が登場し、迷わず買った。
高瀬さんもまた、この道を「不思議」と感じた。しかし私が「不思議」と感じただけで思考を止めたのとは対照的に、彼は考え続けた。そしてその遊歩道がかつては線路だったこと、線路の先には「東京グリーンパークスタジアム」という野球場があったこと、そして野球場ができる前は、ゼロ戦のエンジンを製造する中島飛行機武蔵製作所があり、激しい空襲を受けて戦後はGHQに接収されたことを、掌編の中で見事に描き出した。日本の軍国主義の要だった場所がGHQに接収され、アメリカ文化を象徴する野球によって負の記憶が上書きされたのだ。
どんな土地も、そこに流れた時間や記憶を背負っている。しかしその歴史を誰かが「不都合」と考え始めると、「水に流そう」という力学が働き、痕跡を根こそぎ消し去り、その上にあらたな歴史を上書きする。多くの人は上書きされた記憶を鵜呑(うの)みにし、記憶が誰かの意図で操作されたことに気づきもせず、たいした不都合もなく生きていく。
しかしどんなに痕跡を消そうとしても、土地に染みついた香りはどこかに残る。高瀬さんは、過去の残り香を嗅ぎ分ける嗅覚がある人だ。香りの違いに気づいて立ち止まり、そのまま放置しない。私は香りにはかろうじて気づいたが、立ち止まらなかったし、考え続けもしなかった。
それ以来、私には近所の風景が一変して見えるようになった。そして思った。知らなくても生きていくのに不都合はない。むしろ知らないほうが、余計なことを考えずに済むから都合がいい。しかしそれが誰かの意図によって演出された「都合」なら、知らないことに罪はない、といえるだろうか、と。
それから六年の時間が流れた二〇〇九年夏、東京駅近くの書店の「歴史コーナー」で、『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』という単行本を見つけた。あの高瀬さんではないか。即決で買い、帰宅するまで待てず、近くのコーヒーショップに入って貪るように読んだ。
武蔵野市のレベルではない。今回はさらにスケールが大きく、長崎観が、いや、日本の戦後観が見事に覆された。
高瀬さんにとって長崎は、自身が生まれ育った場所であり、また生まれなかった可能性もある場所だ。お母さんから原爆の体験を繰り返し聞かされ、原爆で破壊された浦上地区のカトリック系男子校に通い、再建された浦上天主堂を日々眺めて暮らした。クラスには五島出身の「隠れキリシタン」の末裔(まつえい)の人たちがいた。
母が奇跡的に生き残ったからこそ自分がこの世に生まれた不思議。よりによって日本のカトリックの聖地である浦上に原爆が落とされた歴史の非情さ。小さな謎の数々に囲まれながらも、不都合なく生きていた。
それが一本のテレビ番組によって、浦上天主堂の廃墟がたどった歴史に疑問を持ち始める。
この廃墟は、自分が生まれた頃にはまだ実在していた。取り返しのつかない喪失感にとらわれた彼は走り出した。不都合なく生きてきた自分に対する悔恨が原動力だった。
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