なぜ原爆ドームを残した広島と異なり、長崎の浦上天主堂の廃墟は撤去されたのか。誰かの意図によって演出された「都合」なのか。だとしたら、誰の都合だったのか。一つの謎は、次の謎を導き、やがて壮大な世界を描き始める。
そこにはアメリカの強固な意図があった。いまでも長崎の聖人のように扱われる永井隆の人気に、GHQの影を嗅ぎ取った嗅覚は恐るべしとしか言いようがない。長崎出身者の高瀬さんが書くにあたり、かなりの勇気が必要だったろうと想像する。
私個人がさらに惹かれたのは、長崎が抱え続ける「文化の断層」についての指摘である。この断層こそが、ヒロシマとナガサキの決定的な違いだからだ。
原爆が長崎ではなく浦上に落ちたことについて、一部の市民は「市街に落ちなかったのは、お諏訪さんが守ってくれたおかげ」「浦上に落ちたのは、お諏訪さんに参らなかった『耶蘇(やそ)』への天罰」といってはばからなかった、という記述が本書にある。にわかには信じがたい気持ちだったが、勇気を出して長崎在住の友人に聞いたところ、「そう言う人はいまだにいます」という答えだった。
かつての私も含め、多くの人が長崎を「キリシタンの街」と認識しているだろう。しかし長崎はけっして「キリシタンの街」ではない。キリシタンがたくさんいた時期は確かに存在したが、いうなれば、キリシタンを最も激しく弾圧した街のひとつ、なのである。
長崎の街を一日歩けば、その残り香を感じることができる。長崎の象徴だったイエズス会の「岬の教会」があった場所に長崎県庁が建ち、「山のサンタ・マリア教会」跡に長崎奉行所、ドミニコ会のサント・ドミンゴ教会跡には長崎代官屋敷、その他の多くの教会跡には寺が建てられた。為政者にとって不都合な場所は壊され、記憶を上書きするための新たな象徴が建てられるということが、長崎のそこかしこで、四〇〇年以上続いてきたのだ。私には長崎の歩んできた歴史が、浦上天主堂の廃墟が撤去された経緯とだぶって見える。他の街にはない、長崎の特異な断層。アメリカはその弱みをうまく利用しただけ、と言ってはうがち過ぎだろうか。
長崎は、何層ものもろい皮がしっとりしたクリームで重ね合わされた魅力的な洋菓子、ミルフィーユのようである。多くの人を魅了してやまない、美味な菓子だ。しかしきれいに食べるのは極めて難しい。フォークを突き刺せば、無残に崩れ落ちる。
高瀬さんはそこに、あえてフォークを突き刺したのである。
東日本大震災を体験し、いっそう無念さがこみ上げてくる。簡単に、無自覚に無くしてはならない物がこの世界には存在するのだということを、歴史の教訓として学び取ることのできない者は、いつか再び、悲劇に見舞われるのだ。災害にしろ、戦争にしろ、犠牲者を悼み悲しむことだけで、「鎮魂」とするならば、人間の未来に光は差さないだろう。 (本書三一一ページ)
鎮魂とは便利な言葉だ。この言葉を使う限り、死者を悼んでいることを他者に示すことができる。しかしどうも日本ではこの言葉が、「寝た子を起こすな」「水に流せ」という意味に曲解されているように、私には思えてならない。
歴史をどう記録し、記憶して継承していくのか。忘れっぽい私たちに本書で投げかけられたのは、永遠に続く重い命題である。
高瀬さんはこれからも手にペンとフォークを持ち、寝た子を起こし続けるだろう。
(2013.05.20)
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