- 2017.01.21
- 書評
二重の謎迷宮の果てにたどり着く、読者の世界観を揺さぶる結末とは?
文:巽 昌章 (弁護士・推理小説評論家)
『死の天使はドミノを倒す』 (太田忠司 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
これは問題作です。いわば、太田忠司という作家が示す振れ幅の一方の極を示す作品でしょう。もう一方の極に、狩野俊介や霞田志郎といった名探偵の活躍する親しみやすい作品群があって、そこには常にファンを楽しませることを忘れない物語作者の姿が見えています。かといって、『死の天使はドミノを倒す』が読者そっちのけの難解な作品だというわけでもなく、文章に晦渋なところは見受けられないし、気をそらさせない語りによって結末まで退屈することなく読めてしまう。しかし、その終着点で、あなたはきっととまどうに違いありません。この本をどう受け止めたらよいのかと。
たとえていえば、大きな箱を持ち上げてみたら意外に軽かった、あるいは、ちっぽけなアクセサリだと思って掌に載せたらずっしり重かったといった、重さをめぐる感覚の混乱に近いことが起きるのです。ここでは、死刑制度の是非、凶悪な殺人者の裁判をめぐる弁護士と被害者遺族との葛藤など、いかにも重い題材が扱われ、登場人物たちもそれぞれにこの世で生きることの重荷を背負っているようです。しかし、この小説は、題材のゆえに重いのではないし、個々の人物の背負った業の深さを直接読者に突きつけようとしているのでもありません。
こうしたたぐいの重さを期待していると、ページを閉じたとき、一瞬肩透かしだとさえ思いかねないけれども、次の瞬間、ある不思議な手ごたえを感じるはずです。重いとも軽いともいえず、重心がどこにあるのかもわからないが、たしかに心に絡みつく感触が残っている。これはいったい何なのだろう、そう考えはじめたとき、あなたは作品の魅力のすぐそばまで迫っています。
○
冴えない作家である鈴島陽一が父の死を看取ったところから小説は幕を開けます。彼は、特異な活動で知られる「人権派弁護士」鈴島薫の兄でしたが、父の相続預金の払い戻しを受けるのに薫の印鑑が必要だとわかり、にわかにその行方を探さなければならなくなったのです。しかし、薫の所在は杳として知れません。どうやら、世間を騒がせた連続自殺事件の中心人物として「死の天使」と渾名される女性の弁護を引き受け、そのための調査を試みるさなかに消息を絶ったらしい。薫はなぜそんな人物の弁護に執着していたのか、そして、「死の天使」の実体とはいかなるものか。得体の知れないジャーナリスト、堀平馬が陽一に絡み始めたときを境に、下世話な動機から出発した探索行は、しだいに、「死の天使」をめぐる謎と薫の歩んだ軌跡の謎という、二重の迷宮の踏査へと姿を変えてゆきます。
その道程で奇妙な役割を果たしているのが、「人権派弁護士」という言葉です。これは何を意味するのか。「悪いやつを弁護する」のが本分だとこころえ、いかに凶悪犯と指弾されようと、弁護することが世間の賛同を得られなかろうと、その人の味方に徹する。それだけのことなら、私だって「人権派弁護士」のはしくれですが、この小説での薫という存在は、現実に活動している弁護士の模写ではなく、そもそも、作品の意図が弁護活動のリアルな描写を狙っているとも考えられません。また逆に、陽一に付きまとうジャーナリストの堀は、「人権派弁護士」に向けて世間を代表するかのような非難を加えますが、小説はそこから先、堀の取材を通じて弁護士業界の闇を暴く、といった方向にも進んでいかない。