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〈対談〉『ぐるすべ』も実はパラレルなんです

〈対談〉『ぐるすべ』も実はパラレルなんです

「本の話」編集部

『ぐるぐるまわるすべり台』 (中村航 著)/『パラレル』 (長嶋有 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #小説

――中村さんは今月上旬に『ぐるぐるまわるすべり台』を上梓され、長嶋さんの『パラレル』は下旬に刊行されます。

 最新作が同月に出るのは偶然かもしれませんが、お二人が出会い、親交を深めていったことは必然のような気もします。年齢も近いし、これまでの作品を読んでも、その世界観や感性には共通する部分があるという印象を受けます。

 まずは、お二人の馴れ初めから教えていただけないでしょうか。

『パラレル』 (長嶋有 著)

長嶋 そこから話すんだ(笑)。僕は「文藝」を読んでいたから中村航という名前はもちろん知っていましたが(「リレキショ」で文藝賞受賞)、作品との出会いは「夏休み」からなんです。

 ある編集者に「すごく侮れない、いい小説がある」と教えられて、読んでみようかと。そしたら、本当に侮れなかった。敗北感とまでは言わないけれど、俺はこれを書けん、みたいな衝撃を受けました。

中村 おー。

長嶋 それで僕は書評(「中央公論」)で「問題作だ」と書いたんです。一見爽やかにみえるが、死人がたくさん出るような話よりもよほど危険な小説だと。僕はここまで何かの方向に突き抜けることができないなあと感じました。

中村 僕は文藝賞の最終候補に残った時に「この間芥川賞をとった長嶋有さん」の話題になったんですが、実はその時点でまだ受賞作を読んでいなかったんです。帰ってから、これは何をおいても、ということで『猛スピードで母は』を読みました。そうしたら、まずとにかく同世代感が非常にあって。

 僕は長嶋さんより年齢は少し上ですが、デビューは一年後で、同世代で自分のちょっと前にデビューした作家というと長嶋さんと吉田修一さんの名前が必ず出てくるわけです。

長嶋 そうか、デビューは一年違いなのか。それにしても、中村さん、付箋の量すごいね。今日は『ぐるすべ』(『ぐるぐるまわるすべり台』)を題材にしつつ、中村作品の突き抜け具合の謎を解き明かそうと思ってきたんだけれども、早くも負けたような気がする。

中村 まあ、付箋を貼ったすべての箇所に何かが隠されているわけではないのですが……(不敵な笑い)。長嶋さん初の長篇ということで大いなる期待と多少の不安が入り混じった気持ちで読みました。

長嶋 「文學界」掲載時にすぐに読んでいただきましたよね。僕も「ぐるすべ」は「文學界」掲載時に読みました。この時は、芥川賞候補作が面白いなあと思って、全部読んでやれ、と。

 その中で「ぐるすべ」は、俺しかこれをわからないのではないかという感じがしたんです。それが、僕の第一印象。でも、いい作品というのは、このよさがわかるのは俺だけじゃないか、みたいな感覚を多くの読者に持たせるという感じはありますよね。

 一方「月に吠える」(書き下ろし/『ぐるぐるまわるすべり台』に収録)は、やられたと思った。QC(クオリティ・コントロール)って、僕も使いたかったんですよ。会社小説を数年前から考えていて、会社を舞台にした恋愛や立身出世の小説はあれど、会社そのもののことを書いた小説が少ないので狙い目だと思っていたんです。でも先にやられてしまった。QC活動って導入<されている>感というのがまずあって、美しい理論と、ぼーっとそれを聞いている社員側の間に張っている膜のようなムードが非常にうまく出ていますね。

中村 QC活動の前提が全くわからない人には伝わりにくい部分もあるかもしれませんが、わー、こんなのも小説になるんだと意外に思っていただければいいなあと思います。

 僕は、長嶋さんの長篇はどんなふうになるんだろうと思っていたら、綿密に伏線がはってあって、それが成功していた。長嶋さん、こんな手法も使うんだと。

長嶋 そうですか。僕はずっと短篇が中心だったから、短篇では伏線がきちっと決まってガッツポーズみたいな感覚があるんだけど、長篇になると、何を俺、伏線はってるんだよ、みたいな感じもありましたね。だから、つい伏線に走ってしまうところを抑えて、極力削って残った形が今回の作品です。締め切りも迫っていたから、執筆の過程では青息吐息だったというのが正直なところなんですけど。

 

「パーフェクト」への志向性

中村航(なかむらこう)
1969年、岐阜県生まれ。2002年、「リレキショ」で文藝賞を受賞。その後発表した「夏休み」「ぐるぐるまわるすべり台」が連続して芥川賞候補作となる。本書には、初の書き下ろし「月に吠える」も収録されている。

中村 ところで『パラレル』の中の「僕」は、長嶋さんですよね。内容そのものというよりも、考え方や思考回路がそうなのかな。あと愛情というものを、すごく大切にしている感じがする。

長嶋 あ、それもっと大きい声で言ってください(笑)。

「ぐるすべ」では言い切りの強さが印象的でしたね。完璧であるものとか、調和に対する志向性の強さを感じます。例えば、黄金らせんの話で、1・618……は近似値に過ぎずという件(くだり)で、小数点以下がワーッと出てきて「黄金の一瞬を捕まえるには」とくる。つまり作中の「僕」は、<黄金の一瞬>を捕まえたくて、それを夢想するわけですね。

 他にも目玉丼を食べる時に「必要十分に美味しい目玉丼」、塾の教室長にコマ数を増やしてほしいとお願いする時の理由は「驚くほど完璧な理屈だった」。さらに、教室長の、生徒を怒髪天を衝く勢いで責める叱り方に対しては「パーフェクト」とくる。

 冒頭の「キャンパスという言葉の語感の良さは異常だと思う」に至っては「異常だと思う」という言葉自体が異常だよ、とすら思いますね。でも、その後すごく説得力のある説明が来るから思わず納得してしまう。そのへんの言葉の選び方というか、感覚は「本気かー」と思うんだけど、どうなんですか。

中村 うーん、本気、ですね。

長嶋有(ながしまゆう)
1972年、埼玉県生まれ。2001年、「サイドカーに犬」で文學界新人賞、02年には「猛スピードで母は」で芥川賞を受賞。本書は初の長篇となる。ブルボン小林の筆名でコラムニスト、肩甲の号で俳人としても活躍。

長嶋 そうか。そこに、爽やかなエンターテインメントに収まりきらない危険さがあるんですよ。

中村 僕は感動屋なのかもしれない。というよりも感動したがり屋ですね。だからある事象に対して「パーフェクト」みたいなことをいってみたくなるわけです。

長嶋 「リレキショ」の選評では村上春樹っぽいというようなことはいわれていましたよね。村上春樹さんもある種の素敵さに対して「パーフェクト」というようなことをいっている。でもどこが違うのかというと、これは穂村弘さんがいうところの「言葉の金利」にたとえるとわかりやすい。

 つまり金利10%時代の素敵さ、たとえば「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会う」ようなパーフェクトさを表現したのが村上春樹さんで、金利0%時代の仕事場の様子を「ラーメン屋の屋台のように無駄がない」というようなことに感動しているのが中村さんかもしれない。無駄がないことのたとえがラーメン屋の屋台かよ、みたいな。でもそれがすごくいいんですよね。そういった感覚が作品の随所に感じられた。

中村 ラーメンの屋台は一人完結生産の理想のレイアウトと言われているんですよ、実は。でも、それよりそろそろ『パラレル』の話をしましょう(笑)。

 冒頭で「銀座の美容院で髪を切る」とありますが、自分と元の奥さんが、もう別れているのに同じ人に切ってもらっているというシチュエーション、しかも美容師はそこに入ってこないところがまず面白いです。この後のエピソードにもすごく効いていて広がっていくんです。

長嶋 僕の中ではこの小説の中でいくつか手ごたえがあった箇所があって、ここはそのうちのひとつかもしれない。

中村 それと、この小説は時系列では進行してません。時間を区切りながら、順序がどんどん入れ替わっていくという仕掛けがうまくいっている。

長嶋 僕の中でイメージしていたのは、タランティーノ監督の映画みたいな感じです。「5 years ago」と黒地に白抜きで出たら、回想っぽいムードなく、いきなり現在進行形で五年前の劇が始まる。それで、また暗転すると、今度は現在のファミレスで殺し屋がいる場面に戻る。その仕掛けが黒地に白で「5 years ago」というだけで済んでしまう。そんな風に、あの頃はこうだったというようにはなるべく言わずに書きたかった。

中村 でもそれは映像だから可能だという部分もあると思います。小説の中でこれを成功させるのは難しいでしょう。

長嶋 確かに書いている最中は何箇所かわざとらしい回想シーンになっていたんです。「ポワワワーン」と音が出てきそうな。そこを編集者と相談して「ポワワワーン」は止めて、ここはビビッドに切りましょうということになった。

 今でも覚えていますよ、「ポワワワーン」という言葉を(笑)。

中村 単行本では特にラストシーンが「文學界」掲載時から大きく変わっていますね。個人的には、それは成功していると思います。峰不二子はルパンと結婚してはいかんだろう、と思いますし(笑)。

 それと、本文中では長嶋節(ぶし)というか、心に残る言葉やセリフのオンパレードです。たくさんあるんだけど、あえて一つ挙げるとしたら「敵か味方か峰不二子」かな。友達のあだ名が「ズゴック」だったというのもいい。

長嶋 ズゴックなんかは世代的に三十代の人には響くと思うけど、それ以下の世代にはわからないかもね。でも、たとえその言葉を知らなくても伝わる面白味みたいなものはあると思うんです。

 峰不二子のことも万が一わからない読者がいたとしても、語呂や語感として邪魔にはならないだろうと。

中村 それと、離婚届を出すときに「違いますからね。ボクも泣きましたから」と心の中でとりつくろうシーンは印象に残る名場面です。僕は大好きですね。

 この小説の「僕」は、こういう場面ではこういうものの考え方、受け止め方をするだろうな、というのがすごくよくわかる。肯定的なシーンとして、これを書ける人はいないと思う。

照れとの戦い

長嶋 ここは、離婚に至る前のワーッと泣いていたり、罵っている場面はあえて省いて、それが過ぎ去ったあとの焼け跡の二人を書こうとしたんです。

中村 その焼け跡を完全に掃除した感がありますよね。

 あとは、最後に(元)妻を初めて名前で呼ぶシーンとか、「おまえの顔がみえないんだよ」というセリフ。長嶋さんの今までの作品では言わせなかったことを、言わせてますよね。

長嶋 僕は、作中の「僕」に奥さんの名前を「奈美」と呼ばせるのがもう恥ずかしくて。妻が傘を忘れて、追いかけないと間に合わないから、名前を呼ばなければならない状況にしないと、「奈美」と言わせられなかった。照れとの戦いだったりするんですよね。中村さんは、そういう照れみたいなものはないの?

中村 多分ないですね。むしろ、書けるところは書き漏らさずという感じです。ただ、もちろん読んでいる人が恥ずかしいと思わないようには気をつけている。

長嶋 だから「本気かー」感があるし、僕には書けないんだ。でも説得力はあるんですよね。中村さんには、これからもこの精神というか、根底にあるトーンを貫いていってほしいな。

中村 長嶋さんは、もう離婚をテーマにはしないの。

長嶋 もう書かないと思う。むさ苦しいむくつけき野郎の話を書きすぎたから、今度は女性を主人公にしたいですね。

中村 『パラレル』というタイトルも今までの長嶋作品とは一味違って、意外で新しい。象徴的なタイトルですね。

 僕の単行本の中に収録されている「ぐるすべ」と「月に吠える」もある意味パラレルだし、「ぐるすべ」の中でのバンドの出来上がり方もパラレルだった。何が言いたいかというと、拡がりのあるタイトルだってことです。

長嶋 タイトルは結構悩みました。でも、ぱっとこのタイトルが浮かんだ時は、僕も編集者の顔も天啓を授かったような感じでしたね。パラレルという言葉のなめらかさというか語感は、この作品にとってもいい意味で影響するのではないかと。

 そういえば「ぐるぐるまわるすべり台」というのも、ある一つの図形というか、ものの動きを示しているから、パラレルと遠くない言葉ですね。

 これはもう、二冊いっぺんに買うしかない!

中村 その通り。

長嶋 うまくまとまったね。

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