- 2006.03.20
- インタビュー・対談
『にょっ記』座談会 feat. 長嶋有 穂村弘(歌人)×フジモトマサル(イラストレーター)×名久井直子(デザイナー)×長嶋有(作家)
「本の話」編集部
『にょっ記』 (穂村 弘 著)
『にょっ記』フルメンバーと長嶋有さんは、実はそれぞれにお仕事ほかで浅からぬエニシがあります。今回は特別司会に長嶋さんをお迎えして、“にょっ記”の面白さについて語ってもらいました。
長嶋 この座談会は装幀の人を呼んでいるのが、いいね。本のことをプロモーションするんだから、装幀の人にはもっと発言してもらったほうがいいとかねがね思っていたんです。名久井さんは、この本の装幀、すごい楽しかったんじゃないですか?
名久井 いや、プレッシャーでした。だって、面白い文章に素敵な絵がすでにあるというのに、単行本でひどくしたら私のせいじゃないですか。穂村さんがデザインを見て無言だったらどうしよう、と。
穂村 とたんに、名久井さんの名前を忘れて「あの装幀とかする子」って急に呼んだりしてね。いや、すごい感謝していますよ(笑)。
長嶋 このスリーブ函にはフジモトさん、どういうイラストを渡したの?
フジモト この三つのパーツですね(ヤブイヌの上半身・下半身・街路灯)。
長嶋 それをこう並べたんだ。
名久井 勝手に光とか入れちゃったんです。
長嶋 名久井さん、バッツリいくよね(笑)。
名久井 でも、陰では「こんな横にしちゃって……」とかいろいろ思っていて、本当のところ、今回は穂村さんよりフジモトさんに見せるときが緊張しました。エーッて悲しい顔されたらと心配だった。
長嶋 激怒じゃないんだ。ただ、悲しい顔をね(笑)。いや、函の文字も凝ってるね。全部数字?「穂村」は数字じゃないか。「にょっ記」のごんべんは数字だよね。1、1、1、1、0。
名久井 1と0。でも、「穂村」の「村」のこの「寸」という字のハネ、上のところも1の頭にしています。
穂村 ほんとだ。それは気づかなかった。
名久井 ほかもきもち数字っぽくしているんだけど。
長嶋 カッコいいね、さりげなく。本文の日付は、鉛筆描きっぽいけど?
名久井 鉛筆描きです。この日付の数字、実は長嶋さんみたいな字にしたかったんです。長嶋さんから来た年賀ハガキとか、封筒を並べて、似るように研究したんですよ。
長嶋 僕、字書くとき筆を上げないんだよ。この数字、確かにすごい僕っぽい。とにかく気持ちが弛緩しているというか、書くことに労力を使いたくないんだわ。
名久井 あまりに日付の数が多いので、芥川賞作家に頼むわけには、と自分で真似て。ホント、長嶋さんの字は素敵ですよ。
長嶋 そうなんだよ。自分でもそんな気はするんだけどさ(笑)。
穂村 昔、会社でほとんどしゃべったことがない先輩に電話のメモを見せたら、「イヤな字だねえ」って言われたことがある(笑)。そういう言葉って心の深いところに響くんだ。悪意とかなくて、パッと見た感想がそれだったみたいなんだけど。
長嶋 でも、僕も下手だとはもちろん言われるよ。高柳蕗子さんに「左手で書いたのかと思った。『長嶋』という字が読めないじゃん」と言われた。自分の名前なのに。
名久井 長嶋さんは字の曲がりっぷりがすごくいいんですよ。
長嶋 そうだね。いや、僕の字の話で終始してもね(笑)。フジモトさんとは、雑誌連載からのコンビですよね。連載時から、いいなあ、と思っていた。文芸誌に合うよね、フジモトさんの絵って。紙質のザラザラッとしたところに、突然このトーンが入っているって、なんかドキッとするみたいな感じがあってさ。
フジモト 女性誌に載るより居心地がいいかもしれない。
穂村 フジモトさんとのコンビって、やっぱり書いているときから意識しますよね。彼のネタ出しの時間がいるんだから、絶対締め切りに遅れちゃダメなんだとか(笑)。逆に、絶対描けないのを一回書いてみたいなあ、みたいなことを考えたり。まあ、一号あたりのネタ数が多いから、どこかではひっかかるとは思うんだけど、モノによって描きにくさはあると思うんですよね。
フジモト 回によっては、描きにくいのもありましたね。五月九日のタクシーで居眠りをしたら、というのも、読んですごいよくて、映像がウワーッと浮かんだんですけど、文章であまりにも完成されているから、図解したらつまんなくなっちゃうなあと。
長嶋 それをあえてはずした?
フジモト はずしました。
名久井 この回はカラスでしたね。
長嶋 ところで、この主役の動物は穂村さんということじゃないんだよね?
フジモト じゃないんです。
――でも、そう思っている読者も時々いるみたいですね。
穂村 うちの奥さんもそう思ってた。「このイタチが」とか言ってる(笑)。イタチでもないんじゃないか、と思うんだけど。
フジモト ヤブイヌというマイナーな動物なんです。
穂村 実在?
フジモト 実在の動物。
穂村 「広辞苑」には載っていなかったよ。
名久井 ヤブイヌをキャラクターにしたのには理由があるんですか?
フジモト 穂村さんのほかのエッセイとかを読んでの印象で。
長嶋 ヤブイヌなんだ(笑)。
穂村 やっぱり僕なんだ(笑)。奥さんにあれは俺とは別だよ、とか言ってたよ。
フジモト 穂村さんのイメージの中の一部に、ヤブイヌ的な側面を感じたんですよ。そこを抽出して拡大したような。
長嶋 ひとこまマンガ以外の、小さいカットも連載時にありました?
フジモト それはなかったです。本にするときに、描き足しました。考えて、考えて、全然内容に即してないんだけど、入ってもおかしくないようなのを、と。すごい意味ありげだけど、実は何も意味がないカットばかり、描きましたね。
長嶋 エッセイみたいに、何か言われたみたいな感じの絵なんだよ、どれも。絆創膏の電球なんかも。フジモトさんが去年一年描いてた「ちくま」の表紙を毎月見てたけど、たとえば、リスが台所で木の簡素な椅子に座って本を読んでいる。本を読みながらね、リスが尻尾を椅子の脚にクルッと巻いているんだ。このリスは“尻尾持ち無沙汰”なんだよ(笑)。なんかクルクルッとかやっているの。フジモトさんの絵ってそういう発見があるよね。
フジモト 背景のあるような絵を描くときは、できるだけ長時間視点を落としていられるような絵にしようみたいな考えがあって、たまによーく見ないと分かんないものが仕込んであるんです。八月一日のクワガタの絵とか。
長嶋 (名久井、穂村に)よく見ようよ、仕込まれているものを。ここにクワガタがいるんだ。いた、いた。しかしヤブイヌ、かわいくないなあ(笑)。
フジモト 胴長、短足で、目がちっちゃくて、実にかわいくない。
長嶋 この短足ぶりを立たせてみたかったんですね。
フジモト そうです。
名久井 この立ったときの脚の微妙な、どうしても関節がまっすぐにならない感じとか、かわいいんです。私、ひとこまマンガでは九月五日のバナナの絵が一番好き。もうたまらないですね。
長嶋 先生の顔見えないし。
名久井 でも、睫毛長いんですよ(笑)。
おのおのの好きな日
長嶋 フジモトさんが気に入っているのはどの日ですか?
フジモト 四月七日から十二日あたりの「女たち」のシリーズ。会話文が採集してあるだけで、地の文がほとんどないんですよね。自分の存在がなくて、ただ、会話文だけがパーッと入ってくる。
長嶋 聞こえてきたものだけが描写される……なんかゴダールみたい。
フジモト 僕は『ベルリン・天使の詩』だ、と思いました。目と耳だけの存在になって、いろんな物をただ見ている。
長嶋 『にょっ記』はほんとにそういうやりとりがあったんだろうな、と思わせるものと、ないだろう、みたいなものの、ライン上付近のものばかりだから、読んでてドキドキするよね。名久井さんのベストは?
名久井 まだ六つくらいでせめぎあっていて絞りきれない。でも、一番笑っちゃったのは九月二十日の安寿と厨子王。「“ふたり”だ」というところで、ほんとに声出して笑っちゃった。
穂村 これは実話なんだよ。小池光という歌人が、ある席で隣に座った男の子に向かって、「君は安寿と厨子王に似てるなあ」って言ったのを、僕が斜め後ろの席で聞いてて、狂ってる……(笑)。咄嗟にどこを突っ込んでいいか分かんないよね。安寿と厨子王に似ているなんて。
長嶋 穂村さんが言われたんじゃないのか。
穂村 そう。小池さんは見ていると、いろんな人に「君は子門真人に似てるなあ」とか言う人なんです。そのときはたまたま安寿と厨子王だったんだなあ。
名久井 ほかはね、六月三十日の「一太郎はだんだん肩身がせまい?」とか、九月二十一日の「うろが欲しい」とか、天使のかわいい言葉にちょっとキュンとしました。
穂村 それも全部実話ですね。「一太郎はだんだん肩身がせまい?」というのはグッと来るよね。「一太郎」が人名に微妙にかぶるところがまた。
名久井 穂村さんがご自身で気に入っている日はありますか?
穂村 自分ではアウトプットするために苦しんでいるから、味が分かんなくなっているんだよね。
長嶋 僕は十月九日の「スリープモード」。こういうふうに定義されるのが、穂村弘を読むっていうことだよな、みたいな感じがあるんです。あと八月十二日の大相撲の実況がよかった。「だきあっただきあった」。『ごーふる・たうん』(穂村弘BBS)で前に書いたじゃないですか。
穂村 よく憶えているね。
長嶋 活字で見て、改めてよかった。「うわ、こっちもおおきい」というのがいいんだよ(笑)。テレビ中継って、そうだからね。「かたや」で、カメラがパッと「こなた」。で、「ふたりともはだかです」っていうのはいよいよ立ち会いですよ。そのとき、二人とも画面に入る。で、その後、何するの? って。合ってる(笑)。あとは、僕もやっぱり天使が一番よかったですね。一月三十一日の天使がヘッドスライディングを見せてくれるっていうくだり。「輪から猛然と突っ込んでくる」とかね。だって、ヘッドスライディングというのは猛然とするものだからね。天使もね、そういうことをやるときは忠実にそれをやるわけですよ。なんか、かわいいふうでいてね。
前から穂村さんのエッセイを読んでいると、終盤に急に散文じゃないものにしていこうとしている、みたいな感じがあってさ、読んでいく連続みたいなのがフッと浮き上がるようになるよね。何か意図があるの?
穂村 最初、豆腐から食べさせて、最後、湯葉にしよう、みたいな意識はあるんだよ。僕にはやっぱり形而上的なものへの憧れがすごくあるんだけど、形而下から――つまり笑えるとか――そういうことから入らないと、なんか意味をなさない。まあ、いきなり湯葉でも意味はあるんだけどさ。でも、どこかで豆腐とか、アブラアゲとか、そういうものを知っているから湯葉を食えるような感じがあって、たとえば外国人にいきなり湯葉を食わせても、うまいと思わないんじゃないか、みたいな感覚がちょっとある。多くの読者は詩に関しては外国人みたいなもんでしょう。
長嶋 今回読んだもので言うと、後半以降がやっぱり詩になっている感じがする。
穂村 なんか詩になっていっちゃったよね。
長嶋 連載はまだ続くわけだから、また形而下的なものが混ざるんだろうけどね。あと、妄想をエスカレートさせていくような、五月二日の「お~いお茶」の「お」の字の話とかは、これはもう穂村さんにはかなわんわけだよ。
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