災害によって人が暮らすことが出来なくなった町・海塚。避難生活から戻った住民が心をひとつに結び合い、故郷について学び、高らかに町を賛美するなか、少女は何を見つめ感じているのか――芥川賞作家・吉村萬壱さんが5年ぶりの著作『ボラード病』の刊行を記念し、トークイベントを行いました。ゲストとしてお招きしたのは長嶋有さん。2001年に文學界新人賞を同時受賞した2人が、公の場でトークをするのは初めて。13年目の同窓会、夢の初顔合わせをぜひお楽しみください。
長嶋 萬壱さんは東京でトークイベントやるのは初めてなんですね。今日は、萬壱さんに相当恋焦がれてて、どんな人なんだろう~と期待に満ちてる人が大勢来ているはずです。
吉村 そうですかね。
長嶋 今日のイベントに「13年目の同窓会」とつけたのは僕なんですが、会うのはいつぶりですかね。
吉村 5、6年ぶり? 大阪で何かの集まりがあったときやけど、そのときは挨拶くらいで、ちゃんと話はしませんでしたね。初めて会ったときのことはよく覚えてますよ。(文學界新人賞発表の掲載記事を見て)僕がまだ髪があった頃やけど。
長嶋 僕もまだ髪があった頃です。
吉村 2人揃って髪があった頃ですが(笑)、この写真を見ていたので、授賞式の日に文春前の交差点で信号待ちしてるとき長嶋さんがいて、どっかで見た顔や! と。で、声をかけて、一緒に玄関入っていったんです。
長嶋 全然覚えてないな。正賞の時計、懐中と腕時計を選べるんですけど、エレベーターのなかで、どっちにした? と話したのは覚えてます。
吉村 僕は腕時計にしたんです。今日もしているけど、普段使いにいいですよ。
長嶋 僕は懐中時計にして失敗した。使う所がないんです。
吉村 芥川賞の正賞が懐中時計でしょ。最初からそれを見越して、とりあえず腕時計にしといたんですわ(笑)。
長嶋 あともう1つ覚えているのは、授賞式のスピーチで萬壱さんが「この2作だから同時受賞できた。『サイドカーに犬』だけよくても、『クチュクチュバーン』だけよくても、受賞にはならなかったんじゃないか、いい巡りあわせだった」と言ったこと。
吉村 食べ合わせが良かったゆうことですよね。僕が覚えているのは、授賞式後に食事に行ったでしょう。長嶋さんが「サイドカー」を1年かかって書いたと聞いて、「クチュクチュ」を2週間で書いた僕は、内心(勝った)と思ったんです。
長嶋 そうだったんですか(笑)。
吉村 「サイドカー」はその後芥川賞候補になったけれども、残念ながら受賞しなかった。で、11月号に受賞第1作を同時に発表したんですよね、確か。
長嶋 僕は「猛スピードで母は」、萬壱さんは「人間離れ」。
吉村 これは2人とも半年ぐらいで書いたわけだから、そこでタイになった。しかも「猛スピード」は芥川賞を受賞した。それを夜、車を運転しながらラジオのニュースで聞いたときは、そのままアクセル踏みこんで真冬の海に跳び込もうかと思いましたわ。それくらい大ショックやった。今だから言いますけど。
長嶋 長嶋め~~みたいな?
吉村 どういうことやねんっ! と。それから僕は若干、のたうち回りましたね。
長嶋 僕は……浮かれてました。
吉村 はい、浮かれてました(笑)。もう悩み苦しむあまり、髪の毛が抜け始めて、円形脱毛症がいくつも出来たんですわ。これは治るのにものすごい時間がかかるんです。で、頭にバンダナ巻くようになった。
吉村萬壱は1人しかいない
長嶋 でものたうち回ったのち、2003年に見事「ハリガネムシ」で芥川賞を受賞したじゃないですか。
吉村 はい。これはでも、本当に実力だったのかどうか……。
長嶋 実力ですよ。
吉村 ええ、まあ実力なんですけど(笑)、巡りあわせというかね。ただこういう感情って、作家はものすごくあると思うんですよ。
長嶋 あいつばかり売れて、とか、あれが重版なんて、とかね。なんか暗い話になってきたな(笑)。僕らと同じ2001年にデビューした作家で、島本理生さんや綿矢りささんは別として、いまも書き続けている人って少ないですよね。だから、もはやいがみ合っている場合ではないというか……。いやべつに、いがみ合ってないけど(笑)。前作の『独居45』から5年あきましたが、この間は結構ジリジリしてたんじゃないですか。
吉村 いや、実はそうでもない。ひたすら疲れていました。教師と作家、二足のわらじをはいてきたんですけど、だんだん辛くなって……。夜8時頃に家帰ってご飯食べて、気が付くと朝の5時になってる。気絶するように寝てるんですわ。で、シャワーを浴びてまた仕事に出かける……。週末はひたすら寝だめです。
長嶋 そうなるでしょうね。
吉村 両立できないことが、小説を書かないことの言い訳になる。逆に学校がうまくいかないときは、僕は作家で大変なんだからしょうがないわ、となる。このままだと両方が中途半端でだめになる思うて去年の春、教師をやめたんです。先生の代わりはおるけど、吉村萬壱は1人しかいない、と自分に言い聞かせて。
長嶋 先生をやめられて、いつ頃から「ボラード病」を書き始めたんですか。
吉村 やめたあと3カ月間は仕事をしないと決めてたんです。ものすごい解放感で寝てばかりいましたね。夜中の3時にスーパー銭湯いったり、俺は自由やーっと。でもね、3カ月たつと人間て弛緩してくるんですわ。これでいいのか、小説を書くためにやめたんじゃないのか、と。で、「文學界」に締切作ってもらって、夏頃から1日1章ずつ書き始めたんです。
忘れられない、インパクト絶大の歌詞
長嶋 『ボラード病』は24章から成ってますけど、1個1個が短篇みたいでした。それぞれの章の最後の1文がまた格好いい。センチメンタルや感傷にひたらずに、作者が登場人物を突き放すでしょう。予定調和を最後の1行で覆されるんです。『クチュクチュバーン』の「嘘つけ」、も絶対に忘れないラストですけど。
吉村 やっていることとか方法論は、デビューの頃から何も変わってないんですわ。
長嶋 『クチュクチュバーン』の熱量や奇想の繰り出しかたとは全く違うし、『ヤイトスエッド』で使った筋肉とも違う。まったくタイプの異なる小説ですが、細部が過去の作品に通じているんですよね。「岬行」という中篇で、図書館で日がな1日過す男が、公共のトイレでトイレットペーパーに〈直腸癌〉とボールペンで書いて、また巻き戻すでしょう。
吉村 ああ、ありましたね。
長嶋 インパクト絶大ですごく覚えてますけど、他の短篇でもトイレットペーパーに何か書く場面がありました。『ボラード病』では、主人公の恭子がトイレットペーパーにスタンプをおしてますよね。過去のシーンを繰り返し書くのは、萬壱さんのなかに原風景として常にあるものなんですか。
吉村 それはないですけど、まあ自分のなかの駒が少ないんでしょうね。
長嶋 でも似たことを言われても、全く飽きないんです。玄関の蜘蛛の巣というのも出てきましたけど、『クチュクチュバーン』では、逃げている男の内面描写から脚の回転、身体の動きに着目したとたんに、それが蜘蛛のたとえにつながっていくけれど、『ボラード病』では女の子の視点で蜘蛛の動きが語られる。これは新鮮でした。
吉村 長嶋さんの作品でも同じこと言えますよね。ジャージ着て風呂入って寝るだけ、それだけのことなのに、何でこんなに面白いんやろといつも思うんですよ。
長嶋 ミニマムなところを正確に描写したいというのは、作風は違うけど似てるかもしれないですね。『ボラード病』で、学校で合唱をするじゃないですか。「海塚、海塚、海塚……」と10回も。こんなに地名を連呼する歌詞は、萬壱さんしか書かないですよ(笑)。『バースト・ゾーン』でもテロリン(テロをする存在)を壊滅させるために、ラジオで流す童謡がありましたよね。「そんな所にいないで出ておいで。明るい所に出ておいで。ドッカーンドカーンドカーンハイハイ」っていうの。
吉村 その歌を聞いて志願する人、いませんよね(笑)。
長嶋 でもこの歌が、『バースト・ゾーン』が忘れられない理由の1つになってるんですよ。『ボラード病』で合唱コンクールの自由課題曲になるアニソンも気になりますね。タイトルが「明日ヘのスタートライン」(笑)。これも歌詞はあるんですか?
吉村 それはないです。
長嶋 アニソンとかショッピングモールとか、現代にあるものが出て来るのに、どこか異世界を描いているようでもある。情報の臨場感がまぜこぜですよね。主人公が貧乏なのに部屋が7つもある家に住んでいる、というのも面白い。
吉村 実際にいま自分が住んでいるのが、部屋が7つある古い民家なんですよ。普段生活しているところをそのまま舞台にしているだけ。あと長嶋さんとの共通点でいうと、取材しないで書くということじゃないですか。
長嶋 そうですね。なんか取材して書くと工場見学みたいになっちゃう気がする。取材される側も普段の姿と違うところを見せるし。
吉村 僕は人に話を聞くと、その人の批判ができなくなるのが嫌なんです。特に『ボラード病』みたいな小説は、誰かに具体的に話を聞いたら絶対に書けませんよ。隣の家に住む〈ヌオトコ〉は、あのまんまの人がおるんですけど、この夫婦は絶対にこの小説を読まないという確信があった。
読者に好きで読んでもらっていい
長嶋 前に親戚のことを小説でモデルにして、名前は1文字だけ変えて、あることないこと書いたんです。それを親戚に告げたら「いいよ、だって小説だろ」とあっさり返されて、僕は感動したんですね。小説っていうのは手段そのものが「嘘」になるんだ、と。
吉村 僕が思うのは、言葉自体は物を正確に伝えることができないということ。我々が出来るのは、正確な角度で指で指し示すことだけですね。長嶋さんは俳句をやってはるけど、俳句はあの短い言葉の中でこの指を作り、読んだらその指の通りに言葉が動いて、確実にそこに当るようにできてるんですよ。
長嶋 いい俳句だったらね。
吉村 『春のお辞儀』いう句集、出されましたけど、これ素晴らしいですね。
長嶋 ありがとうございます。
吉村 「蜘蛛というより蜘蛛の都合をみておりぬ」という句に目が留まったんですけど、僕、蜘蛛大嫌いなんです。
長嶋 小説にはよく出てくるのに?
吉村 嫌いやからこそ出てくるゆうか。蜘蛛って目の前に垂れてくるやないですか。ポーンとやったら、ツーと上に上がってくでしょ。上がっていったあとの糸はどこにいったんですか。
長嶋 どこにいったんでしょうね(笑)。
吉村 足で絡めて食ってるんちゃいます? 元に戻すほうが大変そうでしょ。ここで言いたいのは、人間は蜘蛛が存在するのをそのまま見ることはしてない。フィルターをかけて蜘蛛の都合を推しはかって見てるいうことです。これは、『ボラード病』のなかに出て来る、見たいものしか見ない人々というのと共通してるんです。さすが長嶋さんやなーと。『ボラード病』いうのは、ありのまま生きていてそのまま見ていたら、絶対に起らない物語なんです。
長嶋 萬壱さんはあるインタビューで、「どこの国のいつの時代の人が読んでも、ある程度読めるもの」として書いたけれども、東日本大震災を描いた小説として読まれてもいい、と。
吉村 執筆のきっかけが3・11というのは間違いないですけど、自分としてはもっと普遍的なものを目指したんですよね。長嶋さんの『問いのない答え』はどうですか。
長嶋 あれは震災後にツイッターで言葉遊びをはじめて……何やっているんだアイツ、と思われてたかもしれない中、いやこれは取材でして、と言い張るために書いたんです(笑)。でも津波を第1報の映像で見たときの印象とかは、結局書かなかった。最初に震災を書こうと思ったわりには、震災から遠くにいきましたね。
吉村 『ボラード病』はある読者から、2度読むと印象が一変する言われましたけど、好きに読んでもろうていいんですよ。
長嶋 確かに1度目に気が付かなかったことが、2度目には見えてきたりする。最後に言い残したことはありますか。
吉村 僕の今までの小説は、中学・高校ムリ、なんとか大学の図書館に置けるかないう感じでしたけど、『ボラード病』はエロスやバイオレンスがやや薄まっているんで、幼稚園は無理かもしれんけど、小学校の図書館ぐらいには置けるかな、と(笑)。本を読み始めたばかりのお子さんとか、高校生の姪ごさんとか、かろうじて読めるんじゃないですか。
長嶋 それだけ、今までの小説よりは間口が広い。これで慣れたらあとは『バースト・ゾーン』や『ヤイトスエッド』みたいな、過去のディープな作品も楽しめますね。どんどん〈萬壱病〉にかかってほしい。
吉村 最後に装丁の話をすると、この表紙の写真、格調が高くて、インテリアにもぴったりなんですわ。リボンつけてプレゼントするのにおすすめです(笑)。
長嶋 また是非、東京へトークをしに来てください。
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