インタビューほか

〈ロング・インタビュー〉硫黄島の戦いに日本人の本質が見える

聞き手・構成: 高橋 誠 (フリーライター)

『名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録』 (津本陽 著)

――硫黄島は現在海上自衛隊の基地があるだけで、一般の人は行くことができないそうですが。

 幕僚長にお願いしまして、特別に取材の許可はもらえたのですが、いざ行く段になると、イラク戦争で飛行機が出払ってしまって全然ない。途方にくれていたところ、入間の飛行機を配機する係に示現流の本を書いたのが縁で知り合った方がいまして、便宜をはかってくれました。南大東島に行く飛行機を硫黄島に止めてくれたのです。佐官クラスが七、八人同乗していましたが、全員日に焼けて真っ黒でした。

 島の中をジープで移動すると、遺骨の臭いを隠すために草の種が蒔かれて、それが樹林みたいになっている。地下壕にも入りましたが、地熱がすごくてとても奥には進めない。同行の若い編集者は頑張って十メートルほど行ったけど、わずか一分ほどなのにシャツはずぶ濡れになっていました。

 四階建ての鉄筋の宿舎に泊めてもらい、島の司令や幹部が歓待してくれるのですが、霊とお酒を酌み交わしたとか、夜中に何千人も行進してくる足音が聞こえたとかいう話ばかり。半分感心して、半分呆れて聞いていました。

――硫黄島は東京の南千二百五十キロ、面積二十平方キロの小さな島ですが、太平洋戦争では戦略的に重要な拠点だったわけですね。

 平坦な島で、飛行場がありましたから。アメリカの爆撃機は、サイパンから東京に行こうとすると爆弾を二トンしか積めないが、硫黄島からなら六トン積めるというんです。本土爆撃のため、絶対に欲しい島だった。

――昭和十九年五月に栗林忠道中将が着任し、最後には、陸軍一万三千五百人、海軍七千三百人が布陣します。千二百人足らずの島民は東京に疎開させました。

 ただし十八歳以上六十歳未満の百五十人弱は、農耕作業要員として残しました。その人たちも玉砕です。

 栗林中将は、留守近衛第二師団長で皇居防衛の任に就いていた。部下の見習士官が酒を飲んでボヤを出したため予備に入って待機しているときに東条首相に呼び出されて、第百九師団長兼小笠原兵団長を拝命します。栗林は、アメリカとカナダに足かけ六年間いて、向こうの平和産業はちょっと切り替えたら軍需産業になることをよく知っていた。だから絶対戦ってはだめだという考えでしたが、東条は、そういう反対論を唱える連中をみんな前線に行かせている。死なせてやれと。たいへん非情なやり方です。司令部には父島に本部を置けと唱える者もいましたが、そんなところから指揮はとれないと、栗林は硫黄島に本部を定めました。マリアナ沖海戦で連合艦隊が壊滅した今となっては、一日でも持ちこたえて、アメリカに損害を与えてやろうと、それだけですよ。先の望みなんて何も無かった。それを栗林は腹の中に隠しておいて、戦った。最後に出撃する時はヨボヨボになっていたと言いますね。相当な心労だったんでしょう。

――栗林中将は、地下要塞に立て籠もる作戦だったが、海軍には別の作戦があった。栗林中将が全体の指揮官なのに、海軍が言うことを聞かないということがあったのですか。

 軍艦で砲戦するのが海軍の本領ですから、陸上戦闘は苦手なんです。海軍は七千人ぐらいいたけれど、上陸されたら勝ち目はないというので、水際で叩き潰すという水際撃滅作戦を主張して、厚さ一メートル三十センチもあるトーチカを作った。栗林中将は、仕方ないから協力しようと。その代わり鉄筋とセメントを半分くれといった。海軍のトーチカは敵を引き寄せるための目印として、地下に総延長十八キロの複廓陣地を作った。そこで出血を強いて、本土爆撃の日を遅らせようとした。

――バンザイ突撃をするのではなく、消耗戦に引きずりこむ作戦をとったのは、ペリリュー島の戦いから栗林中将が教訓を得たということですね。

 ペリリュー島は天然の要害で、アメリカはそれまで百人単位の戦死者だったのが、ペリリュー島で三、四千人が死んで、指揮官を交替せよというぐらい問題になった。水戸の第二連隊が海岸線の珊瑚礁に鍬や鶴嘴で自分が入るタコ壺を掘るのに二十日間かかったという。上に椰子が生えていたでしょ。それが砲撃で吹っ飛んで丸見えになったけれど、その戦死者は五パーセントだったといいます。アメリカ軍は皆死んだと思って上陸してきたが、千八百人の日本兵がタコ壺に入っていて、向こうも千八百人。三昼夜白兵戦を戦って両方とも全滅。向こうもそんなことをやられたら弱いんですよ。

――それで硫黄島でも地下壕を掘ったが、サイパン島が玉砕(昭和十九年七月)して、サイパンからの米機来襲、艦砲射撃の中での作業だったわけですね。

 掘るだけで二千人ぐらいが死んだのではないですか。凝灰岩の地質にダイナマイトを入れて爆発させて掘っていく。硫黄島の地下は温度が六十度くらいなのですが、段差をつけた空気穴を開けると二十八、九度になり、それで皆が立て籠もった。本部の地下壕は地下四十メートルぐらいのところにあって、一トン爆弾が落ちても、将棋盤の駒が倒れるぐらいで、なんら影響を受けなかったといいます。

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名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録
津本陽・著

定価:本体667円+税 発売日:2008年12月04日

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