インタビューほか

〈ロング・インタビュー〉硫黄島の戦いに日本人の本質が見える

聞き手・構成: 高橋 誠 (フリーライター)

『名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録』 (津本陽 著)

――そして、いよいよ昭和二十年二月、アメリカ海兵隊が三日間艦砲射撃をした後、硫黄島に上陸してくるわけですね。

 艦砲射撃は爆撃よりはるかに恐ろしいといいます。

 僕も勤労動員先の明石で、二百五十キロの特殊爆弾を直径三十メートルの範囲の防空壕に六発も撃たれたのでその恐ろしさはわかります。B29の第一波八機で工場がやられた。みんなが丘の上に上ると、煙が上がっている、チクショーと。第二波がまた来て、下の方で破裂している。配属将校が顔を真っ青にして走ってきて、こんなところにいたら皆殺しにされる、逃げろと。坂の途中の防空壕は満員で、みんな尻を出している。むりやりもぐりこんだが、第三波十六機が高度一万メートルで来て、それが私たちの防空壕に集中した。ドカンとかバーンではなくて、もうカァン、カンカンカンという音なんです。体は、ガリバーに箱に入れて揺すられる小人のよう、滅茶滅茶ですよ。工場破壊の特殊爆弾だから、六階建ての鉄筋の建物の地下三階まで到達して吹っ飛ぶ。そんな爆弾を五百発、わずか三十分の間に落とされた。

 硫黄島は、それを何ヶ月もやられたわけです。しかも八百隻の軍艦の艦砲射撃がある。壕の中の兵は、壁にしがみついて、漏らしてしまった者もいたといいます。気がおかしくなったって不思議じゃありません。

 アメリカ軍はそういった艦砲射撃を続け、誰もいなくなったと思って上陸してきた。ところが、殆ど生き残っていた。

――上陸した最初の三日間だけで、アメリカ軍は七千名近い死傷者を出すわけですね。

 すごいと思ったのは、木更津基地から三十二機の大特攻隊が来て、硫黄島を包囲している艦船に突入して、空母を轟沈している。あんなに成果を上げた特攻隊は他にないですね。島の塹壕から一万数千の日本兵が出てきて、

 万朶(ばんだ)の桜か襟の色
 花は吉野に嵐吹く
 大和男子(おのこ)と生まれなば
 散兵線の花と散れ

 と、全島揺るがす大合唱になったそうです。

――アメリカ軍が島の南端の摺鉢山に星条旗を立てる写真はピュリツァー賞を受賞し、アーリントン共同墓地の像になるほど有名ですね。

 玉名山の銃眼から見ていた人によると、摺鉢山の旗は夜になると日章旗に変り、朝になると星条旗になったそうです。山の洞窟に隠れていた日本兵が夜陰に紛れて出てきては日章旗に差し替えて、砲撃や爆撃でやられて死ぬ。明るくなると米兵が星条旗に替える。それを四日間繰り返したといいます。あの写真は、日本兵が力尽きてから大きな旗を持ってきて、やらせで撮った。旗を立てた五人の兵士の内、生きて帰ったのは一人。四人はその後の戦闘で死んだといいます。

――島では水の確保が大変だったそうですが。

 湧き水は島の西部に井戸が二つ、それだけですよ。この島はもともと何百という雨水を貯めるタンクに頼っていたんですが、すべて爆撃で壊された。壊れた水タンクのかけらみたいなのに水がたまっているでしょ。それを飲みに行くと米兵が機関銃を構えて待っている。やっと水に近づくと猫いらずの黄燐弾をぶちこまれている、腐乱死体も入っている。それをすくって飲むと、カリッと口の中にね、ふやけた死体から離れた小骨があたるというんですよ。しかし、あの水のおいしさは一生忘れられないと、大曲さんが言っていました。

――硫黄島の取材から帰られた日に、夢をごらんになったそうですが。

 非常にリアルな夢でした。部下を率いながら自ら速射砲を操り上陸する敵をなぎ倒し、死体から武器を奪い、銃弾降り注ぐ中、弾尽きるまで戦うのです。全身にみなぎるのはただ闘争本能のみ。恐怖も、国家への怨念もなく、ただ敵には絶対に殺されたくないという強い願望だけです。洞穴の中、近づいてくる敵の息遣いも生々しく、最後は自ら顎の下に銃をあて、足で引き金を引いた。そこで目覚めました。一人で水陸両用戦車を三十台近く破壊し感状を受けた中村少尉という人がいるんですが、彼の死に際として小説に書きました。夢に見たまま弾帯を垂らした拳銃と書いたら、武器に詳しい方からそんな形状の拳銃はありえない、機関銃でしょうとの指摘を受けた。念のため義兄に聞くと、そういう拳銃を見たことがあると言う。こういうことを話すと、何かのメッセージでは、という人もいるんですよ。私はそうも思わないんですけど……。でも島から帰ってくるとき左の肩が重かったんですが、書いた後は肩が軽くなっていました。

――「勇将の下に弱卒なし、という諺は、真理であった」と本書にあります。

 しっかりした少尉でも、やはり不安でしようがなくなることがある。そういうときに、しっかりした中尉がいると頼れるから、揺れないんです。で、中尉は大尉に頼り、大尉は少佐に頼る。少佐は大佐が出てきたら頼る。そういう親にすがる子供みたいな気持ちはあったようです。西中佐はたいへん勇敢だけど厳しい人で、戦車への肉薄攻撃なんか他の海軍はやったことがない。エライところにきたもんだと、大曲少尉たちはびっくりしたそうです。

【次ページ】

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録
津本陽・著

定価:本体667円+税 発売日:2008年12月04日

詳しい内容はこちら


 こちらもおすすめ
書評不完全なヒーロー(2013.10.22)
書評信長が秘めていた心の闇とは――(2013.05.14)
インタビューほか真実を求めつづけた強靭な宗教思想家(2009.12.20)
書評大義とは何か――遺書でたどる昭和史決定版(2009.09.20)
書評惜しい! こんな女性を死なせて(2009.07.20)
書評天国の一年と地獄の三年(2009.06.20)