──美那子は、学生時代に知り合った岳彦を愛し一緒に生きることを望み結婚しますが、中高時代の親友・芙美と夫の岳彦が恋に落ち、結婚生活は五年も持たずに終わりを告げ、二人を激しく憎み傷つき疲れた過去を持つ三十四歳です。十七歳の鈴(れい)の相手に、美那子を倍の三十四歳にしたというのはなぜでしょうか?
あさの 三十代の半ばというのはある意味、女性にとっての美しさのピークだと思うんです。三十歳から四十歳にかけて、迷うことや決めなければならないことが多く出てくるということもあるんですが、そういうことが女性のひとつの美しさに結びつくんじゃないでしょうか。私自身も、自分にも他人にもごちゃごちゃと一番惑った年代でした。これは私の感覚的な問題なので、実際問題、ホルモンのバランスがどうこう、などということはまったく言えないんですけれども。
今、五十四歳になってみて、三十代にならないと女は真剣な恋はできないんじゃないかと感じます。四十になるとあきらめることを覚えて、二十代はまだあきらめ方を知らなくて、三十代というのは、あきらめ方を知りながらもあきらめきれずに、一番ひきずっているような気がします。自分にも他人にも惑って惑って、あの中だったら本当に真剣な恋ができるんじゃないかと思ったんです。
──冒頭、美那子と鈴の印象的なベッドシーンから始まります。エロティックさだけでなく、あさのさんが今までに書かれた『バッテリー』での投げるという動きや『ランナー』での走るという動作などに通じる、セックスにおける肉体の動きに魅力を感じました。
あさの それは鈴が、十七歳だからでしょうね。十代は動作のひとつひとつが美しいので、単なる性的な重なり合いというのではないところを表せたのかもしれません。
──とくに鈴は、美那子との恋愛を、快感が血流に混じって体中を廻るなど肉体で感じています。逆に美那子は世間体を気にする心や一緒にいるときの風景を愛(いと)おしく思うなど、頭で考える恋愛をしていて、二人の感覚の差が面白いですね。
あさの 理屈などではなく、この手が、喉(のど)が求めるんだとか、体が欲するんだとか、十代にしか許されない、獣のような恋愛を描きたいと思ったんです。襲って食らうというような、男性の側からでないと無理なのかもしれません。鈴のような、ああいう恋愛をしてみたいなと私も思いました。
──あさのさんが十代の少年を描きたいと思われるのはそういった危うさなんでしょうか。
あさの もちろん肌や髪や目の色が美しいというのもあるんですが、十代には得体の知れない魅力があります。しなやかさや心に残る激しさがあったり……。規則や枠組みの中で、葛藤したり惑ったり揺れたりするのが、高校を卒業するまでの十代には非常に似合いますし、そこに惹(ひ)かれます。女の子はまた違うんですけれども。少年がそんな風に揺れるのは、大人の男からみると、たいていつまらない、一笑に付してしまうようなことだったりするのが、また一際(ひときわ)いいんですね。
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