まずは樋口さんとの出会いについて簡単に書いておきたい。
もともと僕は、会社員をするかたわら、二〇〇〇年くらいから時代小説の作家として活動していた。しかし五、六冊出した本はまったく売れず、新たにオファーをいただいた出版社から何度も書き直しを命じられてノイローゼになり、二〇〇五年頃には一行たりとも小説が書けなくなっていた。そのリハビリとして、僕はブログに力を入れるようになっていった。原稿料や印税という見返りがなくても、好きなバラエティ番組や漫画、音楽について書き連ねるのは至福の時だった。ブログは徐々に閲覧数が増えてゆき、浅草キッドの水道橋博士など、著名な方のブログで紹介されることも多くなってきた。
二〇一〇年一月、僕は以前から気になっていた新人作家の小説を読んで一気に引き込まれ、ブログで紹介した。とにかく隅から隅まで面白い。人の命をクソみたいに粗末に扱う登場人物の行動にシビれまくる。そして、物語と一切関係ないのに、登場人物のひとりが小沢健二の「さよならなんて云えないよ」の歌詞について長々と解説する無意味さ。その行間から立ちのぼる妙な凄味。直感的に、この作者は自分と気が合うはずだと感じた。それが樋口毅宏のデビュー作『さらば雑司ヶ谷』である。前年の八月に発売された本だったが、この段階ではまだ増刷されておらず、すでに平台からは姿を消し、書店の棚に埋もれてしまっている状態だった。
ちょうどその頃、水道橋博士が、映画監督の長谷川和彦さんのツイート、そして映画評論家の町山智浩さんのブログで『さらば雑司ヶ谷』について語られているのを読んで興味を抱いていた。それが、僕のブログによって、「三回背中を押された」と感じて、博士は十数年ぶりにフィクションの本を手に取った。読後、興奮した博士は、ブログやコラム、ラジオ番組などで樋口さんの本を絶賛しまくり、結果として『さらば雑司ヶ谷』は増刷された。賞を獲っていない新人の小説としては異例のことだ。
そのことで樋口さんは僕に感謝してくれて、ブログに載せてあったアドレスにわざわざ連絡をくれた。メールのやり取りをしているうちに、同じ一九七一年生まれで、同じようにこじらせた青春を送っていたことを知った。
樋口さんと初めて会ったのは、二〇一〇年三月のことだ。最初から意気投合し、いろいろ話しまくった。小沢健二のこと、ビートたけしのこと、浅草キッドのこと、電気グルーヴのオールナイトニッポンのこと、ロッキング・オン・ジャパンのこと、白石一文さんのこと、山田風太郎『人間臨終図巻』のこと、町山智浩さんのこと、樋口さんが編集長を務めていた「ニャン2倶楽部Z」と「BUBKA」のことなど。
樋口さんは最初から「異能の人」という印象だった。新宿の紀伊國屋書店で待ち合わせた時、「あそこにいるのは、たぶん作家の○○さんですよ。僕、有名人を見つけるの得意なんです」と囁いた。たぶん樋口さんの脳内には膨大なデータベースが存在していて、一瞬にして顔と名前、エピソードなどが引き出せるのだ。小説の構想を練る時も、同じようにデータベースを利用して、さまざまな作品のテイストを組み合わせているのだろう。
また、次に出す作品について尋ねたところ、
「雑司ヶ谷の続編、新潮社から書けって言われてるんですけど、ホントは書きたくないんですよね。書いたら、どうせ面白くなっちゃうと思うんですよ。それはわかってるんですけど、新しいことがやりたいから」
と、真顔で答えた。自らのセンスへの絶大なる信頼っぷりに圧倒された。デビューは遅いけれど、この人は生まれながらの作家なのだと感じた。
結局、樋口さんが『雑司ヶ谷』の次に発表したのは『日本のセックス』という凄いタイトルの小説だった。過激なスワッピング行為を扱い、それを「裁判」という形で断罪する日本人の醜さをあぶり出しつつ、最終的には無私の愛を描くという荒技だ。
続いての三作目は『民宿雪国』。現代を舞台にした伝奇小説であり、バイオレンス小説であり、純愛小説でもある。
『さらば雑司ヶ谷』の続編は、四作目の作品として上梓された。タイトルは『雑司ヶ谷R.I.P.』。前作とはテイストを変えて、映画「ゴッドファーザーPART II」と山崎豊子『花のれん』と板垣恵介『グラップラー刃牙』を組み合わせた、異常きわまりない小説になっていた。たとえ続編であっても、樋口さんは「新しいことがやりたい」人なのだと痛感した。
この間、樋口さんとは何度か会った。僕の私生活で大きな問題が発生した時は「それ、小説に書くべきですよ! 現代版『死の棘』じゃないですか!」とアドバイスもしてくれた。しかし、これまでずっと時代小説ばかり書いていた僕にとって、「私小説」を書くのは至難の業だった。リアルタイムで襲いかかってくるアクシデントを受け流すのが精一杯で、その出来事を客観的な文章で記録し続けることなどできそうになかった。
二〇一一年二月には、なぜか『雑司ヶ谷R.I.P.』の打ち上げに呼んでいただき、奥さんにもお会いした。お似合いの、素敵なご夫婦だと感じた。奥さんは、ももいろクローバー(まだ「Z」ではなかった)というアイドルにハマっている、という話をしてくれた。
それからわずか二週間後、東日本大震災が起こる。
……すみません、お待たせしました。ここからようやく本書『二十五の瞳』の解説となります。
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