ここからは余談である。
二〇一二年五月。本書の私小説的なくだりを読んで、僕は驚いた。お似合いに思えた夫婦が、なぜ別れなきゃいけないんだ。僕は、樋口さんに会って話を聞くことにした。
「樋口さん、『二十五の瞳』読んだけど、ホントに離婚したの?」
僕は強い口調で詰問を続けた。樋口さんはいろいろ言葉を重ねてくれたけど、要するに、『二十五の瞳』のあとがきに書いてある通りだということだった。
僕は納得できなかった。樋口さんがことさらに「今でも愛している」と強調することに違和感をおぼえた。はっきり言うと「きれいごと」の匂いがした。
「なんなんだよ、アンタは! ほんとに愛してるんなら別れなきゃいいんだよ! 相手が振り向いてくれなくてもさぁ! 要するに別れたいから別れるんだろ?」
と、僕は罵倒した。僕の脳裏には、その二年ほど前の、あるトークイベントでの、町山智浩さんと枡野浩一さんとのやりとりが蘇っていた。以下、町山さんの言葉である。
「あのね、不公平感っていうのが出てきたら、まず恋愛は成り立たないんだよね。ぜんっぜん、彼女が何もしなくても、オレが全部やってやる! っていう気持ちになってるときは恋愛だけども、オレがこれだけしてやったのに、彼女はこれだけ返してくれない。取引だよ、それ! 等価交換をしようとしてるんだよ。それは、経済ですよ! 恋愛ではないです、それは! そうなったら恋愛は終わりです!」
樋口さんが『二十五の瞳』の序章と終章で書いているのは、まさに愛情の見返りを要求する行為であり、町山さんの言葉を借りれば、愛ではなくて取引だと僕は指摘した。
「あんた、甘っちょろいんだよ。愛してたとか何とか、そんだけ胸を張るんだったら、もちろん離婚の前にほかの女性と関係を持ったりしなかったんだろうね」
僕がそう尋ねると、樋口さんは後ろめたそうに目を伏せた。
「それは……あったけど」
「あったのかよ! バカか! あのさ、町山さんも言ってただろ。どんなに相手の気持ちが離れてたとしても、一から恋愛するつもりで愛情を与える努力を続けてれば、離婚なんてしなくて済んだんだぜ。それを……何やってんだ、バカ! 言っとくけど、俺は結婚以来まったく浮気なんかしてないよ。愛してるんなら当たり前だろ!」
僕はそれから三時間余りにわたって怒りをぶちまけた。
「樋口さん、あんたは作家として超一流だけど、夫としては三流以下だと思うよ。離婚したのは確かに気の毒だけど、それはあんた自身が招いたことだからね。一生反省しろよ!」
*
余談には、さらに続きがある。
二〇一三年七月、樋口さんは突然『タモリ論』という新書を出した。それまでタモリについて解説した本がほとんどなかったこともあり、この本は十数万部のベストセラーとなった。九月には下北沢の「B&B」という書店で出版記念のトークイベントが開催される運びとなり、どういうわけか僕もゲスト(というか対戦相手)として呼ばれることになった。メインゲストは水道橋博士である。
控室で顔を合わせるやいなや、僕はほとんど土下座せんばかりの勢いで、樋口さんに謝罪した。
「樋口さん、ゴメン! あんなに偉そうなこと言っときながら、あのあと俺、浮気しちゃったわ」
「ハア?」
「愛があったとしても、浮気ってするもんだね……」
樋口さんはさすがに啞然としていた。怒りを通り越して、その目には蔑みの感情が浮かんでいたようだ。
その日の僕のトークがボロボロだったことは言うまでもない。