チベット高原で展開された血なまぐさい現代史の翳にも、日本の存在があった
ところで、その日本とモンゴルとの数奇な運命は、はるか遠くのチベットの現代史にも深く及んでいることを、これまた多くの日本人は知らないのではないか。
世界の目が一九五〇年六月から北朝鮮の南侵によって始まった朝鮮戦争に集まっていたさなか、同年十月に、中国人民解放軍はチベットに「進駐」した。その時はまだ「解放」という名の善意をふりまく寛容な占領軍の顔をしていた中国であったが、一九五六年から、チベット人たちは中国の侵略に反撃すべく武装蜂起を各地で決行した。すると、中国は容赦なくチベット人を大量虐殺し、弾圧した。三年後の一九五九年三月、ダライ・ラマ法王は同胞たちを率いて、インドに亡命した。爾来、ダライ・ラマ法王たちの遊牧ならぬ流浪の旅は、すでに半世紀以上にも及んでいる。現代史の忘れてはならない悲劇の一つである。
チベット人のそうした抵抗を壊滅に追いこんだ人民解放軍部隊のひとつに、モンゴル人騎兵があった。その騎兵部隊の将校たちは、戦前日本に留学し、日本型の近代的な軍事戦略と戦術を身につけた、日本刀を手にした獰猛な戦士、サムライからなっていた。
つまり、戦後のチベット高原で展開された血なまぐさい現代史の翳にも、日本の存在があったのである。
モンゴル軍は、一九四五年八月十五日以降、部隊内の日本人将校たちを処刑した。中国から独立したいというモンゴル人たちを日本が抑えていたからである。
モンゴル人騎兵はまた一九五八年からチベット人を多数斬った。チベット人たちが中国に抵抗していたためである。
このアンビバレンスに満ちた歴史は何を意味しているのか。
何度でも言うが、本書はモンゴル人とチベット人の歴史だけでなく、日本人の歴史でもある。
しかし、本書はモンゴル人の軍功史ではない。二〇世紀を駆け抜けたモンゴル人と日本人の近代化の歴史である。近代化への脱皮の形はいろいろあるが、モンゴルと日本の場合は、それが「日本刀」と「騎兵」だったのである。本書は、モンゴルとチベットの悲劇にまつわるさまざまな側面を「日本刀」と「騎兵」を歴史のキーワードとして取り上げている。
本来騎兵といえばルーツはモンゴルであり、チンギス・ハーンを想起する日本人も多いだろう。その騎兵戦術をモンゴルの侵略を受けたヨーロッパが改良。それを、元寇も体験した日本が明治維新以降学び、日清日露戦争を勝利に導いていった。その日本の進んだ騎兵術や馬術や軍事戦略を、今度はモンゴルの青年が日本から学んだというのも、歴史の不可思議であるといえよう。
そうした「日本刀」と「騎兵」が、織りなすチベットとモンゴルの悲劇の歴史、現代史の空白を本書によって、少しでも埋めることができれば、著者として望外の喜びである。
(本書「はじめに」より転載)