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イプシロンに日本人技術者の魂を見た<br />的川泰宣(JAXA名誉教授)×真山仁(作家)

イプシロンに日本人技術者の魂を見た
的川泰宣(JAXA名誉教授)×真山仁(作家)

「文藝春秋」編集部

『売国』 (真山仁 著)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

打ち上げ延期の「成果」

真山仁

真山 2度目の8月27日、19秒前で打ち上げが中止になりました。延期というとネガティブなイメージがありますが、この時はコンピューターの判断で打ち上げを延期したわけですから、「自律性」を確かめる練習にはなった。そういう意味では大きな成果があったと考えて良いのですね。

的川 そう思います。ただ、コンピューターが打ち上げを止めた後、エンジニアがもう1度念入りに点検をしたところ、ハードウェアには支障はなく、その設定上の問題により止まったことが分かりました。ですから、仮に打ち上げていたとしても、成功していた可能性は高いです。

真山 森田さんも、人間の判断だったら打ち上げていただろうと話していました。人間の判断とコンピューターの判断が分かれるとすれば、全面的に自律制御に任せられるのでしょうか。

的川 「自律制御」はまだ途上の段階で、システムが確立しているとは言えません。確立するまでは、こういうことがあっても仕方がないとは思っていました。異常を見つけ、トラブルを未然に防いだという意味では延期は賢明な判断だったと思います。

真山 人間とコンピューターが対立したり、コンピューターが人間を凌駕するのではなく、両者が連携して処理にあたる。これが基本的な考え方なのですね。

的川 例えば、ヒトの場合、発射の1分前から開始しなければならなかったプロセスが、自律化によって20秒前にできるようになった。コンピューターの方が圧倒的に早く処理できることは沢山あります。それを上手く利用しながら、システムを確立しなければなりません。

真山 森田さんが「自動・自律化システム」を着想したきっかけは何だったのですか。

的川 M5(ミュー・ファイブ)の前の世代のロケットに「M-3SII型」というロケットがあったのですが、このロケットの七号機で「あすか」という衛星を内之浦から打ち上げた1993年の出来事がきっかけになっているんです。その時、森田君はTVCという推力方向を制御する装置を担当していました。しかし、発射する前にTVCの動きがおかしいことが分かり、それが原因で1週間ほど打ち上げが延期されたのです。その時、森田君は「ベテランのエンジニアがいれば、問題を未然に防げたのではないか」と思ったそうです。人は自分が経験して物事を覚えていくけれど、その経験を人から人へ継承するのは非常に難しい。その経験をいかにコンピューターに覚えさせるか。それが発想の原点でした。イプシロンは固体燃料ロケットとしては7年ぶりの打ち上げですが、7年経って現場の顔ぶれも変わりました。定年を迎えた人もいるでしょう。わずか1年でも作業の勘は鈍くなる。彼は、そういうベテランの技術やノウハウを確実に継承していく方法はないかと考えたわけです。

真山 森田さんの悩みは、まさにモノづくり日本が現在抱えている問題と共通するものです。

的川 人間の代わりをコンピューターがするわけではなくて、人間が蓄積してきた知恵や技術を、コンピューターの人工知能の中に移植して、憶えてもらうということなんです。ですから、人間とコンピューターの協力、相互補完の上に成り立っている。

常に世界の先端を行け

的川 もう一つのきっかけは予算です。2006年に「最も性能が高い固体燃料ロケット」と言われていたM5が廃止になった時に、次期固体ロケットのプロジェクトが始まり、彼はその責任者になりました。しかし、新しい固体ロケットを作ることになったものの、ミッションの予算はM5の半分以下でした。最終的にはもう少し増えましたが。

真山 的川さんはよく「適度な貧乏こそが宇宙研の原動力」と仰っていますね。

的川 「お金がなければ頭を使え」という言葉は、日本のロケット開発を切り拓いた糸川先生の口癖でした。当時はおカネがないから知恵を絞るしかなかったのです。

真山 それにしても半減というのは少なすぎます。とうてい“適度”とは言えません。

的川 まあ、適度というのは色々な幅があるものですから。全くカネがなければ「はやぶさ」も出来ませんし、イプシロンもできなかったわけですから、結果を見れば、やはり適度だったのだと思います。ただ、研究段階の3、4年は森田君に相当、生みの苦しみがあったと思います。傍でみていても、あの強気で明るい森田君が時々寂しそうな表情をしていましたから。この限られた予算では、既成の技術の組み合わせで研究開発費を抑えてロケットを作るしかない。一方で、これまでの固体ロケット開発の歴史では「常に世界の先端を行け」という糸川先生から受け継いだフロンティア精神があります。森田君も独創性のないロケット開発はあり得ないと考えていた。その想いが全く新しい打ち上げシステムの実現へと発展していったのだと思います。

真山 10年前にISAS(宇宙科学研究所)とNASDA(宇宙開発事業団)等が統合されてJAXAになってから、次期固体の研究チームはNASDAの拠点地である筑波宇宙センターに置かれました。ISASで、相模原を拠点に研究をしていた森田さんが、NASDAとの混合部隊の研究チームを率いて研究開発をするには、御苦労もあったのではないですか。ISASは、糸川先生の精神を引き継ぎ、ロケットの研究開発においては強い自負があったと思います。

的川 相模原にいる時は、周囲に固体ロケットをやっている人ばかりだったので、支えがあったのは確かですね。それが筑波に行くと、仲間が違う。初めは非常に孤独で、ひとりぼっちになったような感覚があったでしょうね。ところが、だんだん筑波の人達と一緒にやっているうちに、優秀な人や情熱をもった人がいると気づいて、次第に強力な仲間となっていった。そこまでいくと、所属は関係なくなっていったのだと思います。

M5の挫折を越えて

真山 様々な逆境を経て、森田さんはここまで到達することができた。その原動力は何だったのでしょう。

的川 彼の動機づけになっているのは、固体燃料ロケットとして世界最高の性能を誇ったM5が廃止になってしまった、その悔しさが一番大きいと思います。M5は1機約75億円の打ち上げ費用がかかり、「コスト高」を理由に打ち切られた。

真山 森田さんは、「野球に例えるなら現役ばりばりのスター選手が、年俸が高すぎるという理由だけで突如引退させられるようなもの」と憤っていたそうですね。

的川 今だから言えますが、私自身、あの頃はJAXAの役員だったので、理事会では反対しました。しかしこれはJAXA内部の話だけで決められる問題ではありませんでした。廃止が決まった時に感じた虚しさは今も忘れられません。

真山 森田さんは16年もの間、M5の開発研究をなさっていたので、信頼や愛着もひとしおだったと思います。イプシロンで徹底的な「低コスト」を実現させたわけですが、悔しかった経験が生きているのでしょうね。

的川 彼には、ペンシルロケットから始まった日本の固体燃料の技術が失われてしまうのではないか、という強い危機感がありました。失うのは一瞬ですが、再び始めようとすると、取り戻すのに何十年もかかってしまう。そんな時に、次期固体のプロジェクトが立ち上がった。ですから、ペンシル以来の技術を放棄するのではなくて、できるだけ新しい形でこれまでの技術を継承しよう。これがイプシロンの出発点だと思います。それに加え、彼にはまったく新しいタイプのロケットを生み出したいという夢があった。この前、電話で話していたら「的川さん、伝統と革新という言葉は良い言葉ですね」と語っていました。革新だけでは上っ面だし、伝統だけでは古臭い。森田君の心の中にはこの両方が生きている。「自分はちょうど狭間の世代で、良い時代に生きたと思います」と打ち明けてくれました。実は今回、公的な資料である「性能計算書」に、ちょっとした遊び心で表紙を書いたんです。地元鹿児島の焼酎メーカーの許可を得て、「新燃」という焼酎のラベルをパロディー化して作りました。製造元は「森田酒造株式会社」、主原料は「逆境とよき仲間」。こうした「遊び」も60年代からの伝統ですが(笑)。

真山 「賞味期限は7年ですが、どんなことがあっても決して腐りません」(笑)。これを性能計算書の表紙にするというのはユニークですね。

売国
真山 仁・著

定価:本体1750円+税 発売日:2014年10月30日

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文藝春秋 2013年11月号

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