──今回の絹ばあさんは、男性を惹きつけてやまない人ですが、おっとりしていますよね。
佐藤 脇役ですけど、後家の菊枝ってのが出てきますでしょ。私、彼女が気に入ってるんですよ。
──従姉妹の絹さんに嫉妬している人です。
佐藤 戦争で夫を亡くしてから、男に縁なく働きづめで生きてきた人で、色々と楽しみの多かった絹を見ていると頭にくるのね(笑)。特に、戦争中、自分がルーズベルトやチャーチルの藁人形に竹槍を突き刺していた頃も、絹には学生服の恋人がいたらしいと知った時、羨ましくて胸が煮えたぎる(笑)。戦争を体験した女の心理です。実はそこにわりと重点を置いて書いてるんですよ。
──表題作の「院長の恋」では、分別盛りの病院長が恋の深みにはまっていく様が、段階を追って、実にリアルに描かれています。
佐藤 いや私はね、恋する男の物語ではなく、恋そのものを主人公にした話を書きたかったんです。恋というもの。それは一つの情念で、やがては必ず醒めるんですよ。永遠の恋なんかないんです。それがテーマです。
──全篇に「これが恋という病気」、「いつから始まったのかわからないけど、いつの間にやらおかしくなっていって、ある時、気がつく。その時はホンモノになってるの」など、恋についての箴言(アフォリズム)がちりばめられていますね。終盤に女傑が登場します。
佐藤 あの和歌子さんは、私の分身(笑)。恋の悩みの相談役みたいなこと、実際に頼まれることがあるのよ。
──人間心理のベテランとして。
佐藤 恋の相談って一回じゃ終わらないのね。恋人への未練が何回もぶり返してくる。癒えるまでには時間がかかります。
──導入部に「彼(院長)は『順風満帆』という言葉の象徴であった。(中略)だが彼はそんな自分にも、『幸福』というものにも、無頓着だったのである」というくだりがあって、翻訳小説みたいな洒落たはじまり方だと思いました。
佐藤 エッセイに飽きて、小説を書きたいと思った時期に、チェーホフの短篇をずっと読んでいたんです。「院長の恋」のどこにチェーホフがあるんだ、といわれると困るんだけど、私なりにチェーホフに触発されて書いたんです。いわゆる恋愛物語ではなくて、恋というものを書こうというのは、チェーホフを読んでいるうちにそんな気持ちになったんです。
──三作目の「地蔵の眉毛」は、おおげさかもしれませんが、『旧約聖書』の一節を読んでいるような感覚を味わいました。
佐藤 ハハハハ。
──「ヨブ記」みたいに、正しい人が神に試され、次々に災難に遭うみたいなお話です。
佐藤 いや、大して深く考えて書いたわけじゃなくて、人のいい男の悲劇ですね。本人は悲劇と思っていないけど。小説では淡路島を舞台にしていますが、田舎の人の持っている純朴さみたいなものを書きたかったんです。書きたいというより、そういうものが私はとても好きなんですよ。
──善良な夫婦が登場します。
佐藤 地蔵の祟りでえらいことになる。。
──先生は毎夏を北海道浦河町の別荘で過ごしていらっしゃいますが、この作品に登場する人々の雰囲気は、浦河の人のものなのですか。
佐藤 そうです。私が浦河という町を気に入っているのは、作家だなんていっても特別扱いはされない。みんな一応「先生」と呼ぶけれど、何の先生かわからずにいってるところが気に入ってるの(笑)。
──なんとなく敬われている、ということですね。
佐藤 いや、敬われてないですね。私の家がある所は漁師の集落ですから、魚持ってやってきて、窓から覗き込む。私が机に向って一日中ものを書いているものだから「小説家っていうのはひでえ商売だな、漁師のほうがよっぽどいいわ」って帰っていく(笑)。そういう付き合い方が、私はとても好きですね。
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