『血脈』が刊行された折(平成十三年)に、頼まれて著者へのインタビューを行った。その記事は「オール讀物」(四月号)に載り、このほど、『血脈』の手引書、案内書、あるいは“目で見る佐藤家の人々”ともいうべき『「血脈」と私』に収載されることになった。
当時、毎日新聞の書評欄の一角に「マガジンラック」というコラムがあり、ひと月に一度、小文を草していた。
そこに次のような文章を書いた。引用させていただく。
佐藤紅緑とその一族の栄光と悲惨を描いた巨編、佐藤愛子の『血脈』(文藝春秋)。その長さ(計三千四百枚)と値段(上・中・下巻、各二千円)にもかかわらず、売れ行きは好調のようだ。
名著『楡家の人びと』の著者北杜夫が「斎藤茂吉一族にも奇人変人が多いが、佐藤家にはとてもかなわない」と嘆声を発しているように、登場人物の性格・行動は尋常ではない。紅緑(こうろく、洽六)、ハチロー(八郎)以外にも、子や孫やその女たちがなかなかの役者なのである。
モデルが多彩であれば良い小説が書けるというものではない。作者の人間観照、人物造型の巧みさが、この物語を豊かなものにしているのだが、それ以上に作者の“霊的能力”ともいうべき特異な才能にも注目しなければならないだろう。
『オール讀物』四月号のインタビューで作者はこう言っている。「なんだか書かされたという感じがありましてね。だからこれは、いちいち憑依(ひょうい)されてたんじゃないかと思う」
『新潮45』四月号で連載二回をむかえた佐藤の「私の遺言」によれば、心霊に目覚めたのは、北海道山荘で“超常現象”をはじめて体験した二十五年前からのことだそうだ。
前出の小説雑誌で“霊体質者”は語る。
「……もう人には理解できないだろうから言わないというくらいの、心霊の苦しい経験をしまして、それがやっと鎮まったんですよ。その苦しい経験もみんな、この『血脈』を書くためのものだったんじゃないか。そういう気がしてるんです」
いま、本書に収録されているインタビュー記事「“かく生きてかく死んだ”佐藤家の人びと」を読みかえして、多少の不満――この箇所はもっと詳しくお聞きすべきだった、この辺には別の挿話をはさむべきだった、などなど――はあるが、まあ一応、インタビュアーとしての責は果したのではないかと、安堵はしたものの、心残りがないわけではない。
インタビューをする前に、『血脈』の中からキーワードをとり出し、メモをとった。
たとえば、「小説作法」――視点の問題――「私」の視点では書かない。主人公の視点(よりそった)、憑依―霊的能力―イタコ―魂しずめ―恐山(おそれざん)。「風土性」―津軽―韃靼(だったん)―荒ぶる魂――
右のことばの意味するところは、『血脈』および本書を読んでくだされば、ご理解いただけると思うが、「韃靼」とは何か。「韃靼海峡を蝶が渡る」のダッタンであり、司馬遼太郎さん晩年の傑作「韃靼疾風録」のダッタンである。
インタビュー記事のなかに、こんな会話が出てくる。
――佐藤家の男たちは、乱暴者だったり放蕩者だったり、女にダラシなかったり……。
佐藤 詐欺師だったり。
――ありとあらゆることをやる人物が次から次と出てきます。なかでも洽六は、あれは普通じゃない、韃靼人だと言われたりしていますね。これ、韃靼人が聞いたら怒るでしょう(笑)。
佐藤 あれはもう人間離れしてるっていうことでしょうねえ。若い頃、私は母によく、「あんた、気ィつけなさいよ。佐藤一族いうのは普通やない血筋の家やから」と言われましたよ(笑)。
このとき、私は司馬遼太郎さんから聞いた次のような話を思い出したのである。
「韃靼疾風録」のダッタンは女真――満洲族のこと。
歴史上には、ヌルハチを始祖とする後金(後の清朝)として姿を現わす。天城山心中で世間をさわがせた愛新覚羅慧生さんは、清朝最後の皇帝、溥儀(ふぎ)の姪に当るが、愛新とは黄金(アイシン)のことである。
古来、金一族は東北地方に渡来し、今氏となって日本に土着した。津軽で今姓を名のる人たちは、これら女真族の後裔ではあるまいかと、途方もない仮説を述べ、よって、今東光さんにも女真の血が流れているのではと、本人を前に申し上げたところ、和尚は「そうですか」と破顔して否定も肯定もしなかったというのだ。
佐藤一族にも、ダッタンの荒ぶる血が色濃く流れているのではと、うかがってみたかったのである。
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