第2話「春はそこまで」は生薬屋が舞台だが、この店では店頭販売の他に「飛脚売り」というのをやっている。為替手形と飛脚を使って、遠方に住む顧客に品を売るのだ。つまりは通信販売である。また第3話「胸を張れ」の洗濯屋は、客に通い帳を渡し、洗濯物を1点預かるごとに判を押している。判が20個集まれば次の洗濯物がタダになるという寸法で、これはお馴染みポイントカードのシステムだ。
さらに近くに新興商店街ができ、客をとられるという話まで出るに至っては、もうまさに現代と同じである。
現代社会の経済活動は戦後になってから――どれだけ威ってもせいぜい明治からのものだろうと、なんとなく思っていたのだが、とんでもない間違いだった。『手のひら、ひらひら』もそうだったが、志川節子の作品は、時代小説は決してファンタジーではなく、現代と地続きの人の営みなのだということを思い出させてくれる。
では第4話以降にはどんな職業が、とわくわくしながらページを繰ったらまた驚かされた。いきなり趣向が変わるのだ。一転、武家の仇討ちの物語になるのである。
急な方向転換に戸惑わなかったと言えば嘘になる。けれど読み進めるうちに膝を打った。これもまた武士という職業の物語だということ、そしてここまでの3作と同じテーマを持っているということに気づいたのだ。
そのテーマとは「家族」である。商人たちが主人公だった1話から3話まではその店の親子や夫婦の物語が核にあった。むしろ職業情報の方が彩りで、話の中心は家族の方だ。仇討ちに臨む武家の話も、つまりは家族のありようを描いたものに他ならない。
物語は終盤、武家の仇討ち話も含めたそれまでのすべての要素がひとつに絡み合い、新興商店街に客をとられないよう団結する風待ち小路の人々が描かれる。ここでテーマは、家族から共同体へとシフトする。
個があり、家族があり、共同体がある。その中で人は生きている。商人も武家も、大人も子供も、男も女も、皆がひとしく共同体を構成するかけがえのない一員なのだと伝わってくる。
それぞれの仕事に誇りを持っているがゆえに、人々の足場は固い。互いを尊重し、時には意見し、頼ったり頼られたりする風待ち小路の人々。仕事をベースにした人の絆を書かせたら、やはり志川節子は巧い、のである。
願わくば、次は3年も待たせないで欲しいものだ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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