私事に亘るが、平成八年(一九九六年)という年は、私にとって特別な年であった。その年の二月に司馬遼太郎が死んだ。司馬の死は「戦後歴史観の終焉」を、私には意味した。その年の七月に本書の主人公・若泉敬も死んだが、何よりその二ヶ月前の高坂正堯の死は私にとって大きなものを意味した。高坂は京都大学での私の恩師であっただけでなく、半生にわたって仰ぎ見てきた偉大な先学でもあった。その高坂が死の一ヶ月前、絶筆として世に遺した論稿は劇的なものであった。その死もやはり憤死といえた。
以後、私は「現実主義者」であることをやめ、明確に保守(本書の用法で言えば「愛国者」)として生きようと決心した。でなければ、この国では現実主義も到底、貫徹しえないことが明らかに思えたからだ。今回、本書を手に取り、晩年の若泉の到達点について初めて知るに及んで、そのことの正しさを改めて確信することとなった。そして二〇一〇年の日本が、ついに逢着した戦後初めての本格的な対外危機の中で、ささやかながら自らの墓標をも意識するようになった。
愛国の知識人は、この国では必ず、悲劇で終わらねばならず、又それによって初めて、その志が遂げられる。それにしても、若泉のそれがとりわけ「哀しみの墓標」に見えるのは、そこに三つの裏切りが折り重なって晩年の彼を追いつめていったからであろう。
一つは、首相・佐藤栄作の裏切り、あるいは日本の議会政治と、たとえ間接的にではあっても、関わることの無残な宿命であろう。高坂正堯は晩年、私的な席で、「政治家のブレーンになるほど阿呆らしいことはない。こちらの言ったことの十に一つ、いや百に一つも聞きはしないのだから」と言った。本書から明らかとなる若泉の献身と『佐藤栄作日記』その他から見えてくる政治家の不実との落差もさることながら、その後、若泉が福田赳夫に掛けた期待も、田中角栄との間の“実弾”(カネ)の飛び交う腐臭に満ちた七二年の自民党総裁選、そして刑事被告人となった角栄の「天の声」で決まった大平・福田の間の七八年十一月の総裁予備選での福田の敗北、そこで若泉の中の何かが大きく崩落したことは明らかだ。二つめは、若泉自身が「愚者の楽園(フールズ・パラダイス)」と評した、“どうにもならない”戦後日本人の精神状況であり、三つめは、ストレートに愛国を口にできない国際政治学という「裏切りの学問」の犠牲者でもあったことだ。
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