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写真が写しだす真実。写真が語る物語。朱川湊人の魅力的な短編集。

写真が写しだす真実。写真が語る物語。朱川湊人の魅力的な短編集。

文:黒田 有 (メッセンジャー(漫才師))

『サクラ秘密基地』 (朱川湊人 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『サクラ秘密基地』 (朱川湊人 著)

 世の中は、便利になった。スマートホンの出現で写真が気軽に撮れる。

 便利なことは、いいことだ。いつもそう思う。

 が……。先日、ファミリーレストランで食事をしていると隣の女子高生がはしゃいでいた。スマホで撮った写真を見せ合いっこしているようだ。

「なんなん! この顔!」

「めっちゃ笑けるやん!」

「削除! 削除! これいらんし! ゴミ箱行きや!」

 店内に響きわたる黄色い声。

 そんなたわいのない会話に、昭和生まれの僕は違和感を覚える。僕らが子供の頃、写真は貴重だった。カメラ自体も高級品だったしフィルムも高かった。おまけに現像代もバカにならない。それだけに写真を撮る時は、みんな、慎重な面持ちで写ろうとしていたし、少々の緊張感もあったりした。

 僕は写真を撮られるのが、昔から好きではない。TVに出たり、舞台に出てるのに……と思われるかもしれないが、動画と画像はまったく、異なる。動画は一連の流れの中で表情を見ることが出来るが、静止画像では、一瞬、一瞬を切り取ってしまう。特に、デジタル化した昨今では、撮った写真を前出の女子高生のように、気軽に“削除”してしまえる。

 笑顔と笑顔の間の一瞬の写真を出してしまえば、もうその笑顔は死んでしまうのである。現代のように、現像代がいらないとなれば、連写をしてしまうのも当り前だし、悪意をもってやればその人の心にない怒った顔や困った顔をことさら選んで週刊誌に載せるのも可能なはずだ。

 写真における僕たちの思い入れと若者たちとの感覚は、少々重みが違ってきている。我々の時代は写真を撮るということは、なにかの集まりや行事など、特別の日にわざわざ“撮った”ものだった。

 今は、まるでお茶を飲むように写真を撮っている。便利さが故のことだろう。

 だが、そこには想い出はあっても、“重み”や“感情”が希薄になってる感じがする。

 朱川湊人の『サクラ秘密基地』。

 この本は、六話の短編集だ。

 すべての物語を“写真”というキーワードで綴っている。

 小説の楽しみ方は二種類に分けられる(僕が勝手に思っていることだが……)。

 一つは、その物語をまるで映像を見ているようにして楽しむ小説。ミステリーやサスペンス、あるいはSFなんかもその類ではないだろうか。

 サスペンスやミステリーは“殺人”がキーワードになることが多い。その中に溶け込もうとしても、“殺人”の経験がある人は稀であろう。もし経験があるとしたら、サスペンスやミステリーは、もう読まないで欲しい。SFものに溶け込むのはもっと難しいと思う。それらの小説は、頭の中で“映像化”して、ドキドキしながら、物語の結末を楽しむ。それが醍醐味だと思う。

 反対にもう一つ、その物語に溶け込んでしまう小説もある。ヒューマンドラマや恋愛ものといった類であろう。小説の中にある、たった一行の文章に感動して自分を振り返ったり、作者の巧みな描写に心を打たれ、喜怒哀楽を感じて頭の中で感動を覚えたりする。

 朱川作品は、どうか?

 朱川作品は、このどちらにも当てはまらないところに僕は、魅力を感じる。

“サクラ秘密基地”

 遠い幼なじみ四人組の物語。いつも遊んでいた少年四人だけの秘密の基地。主人公の記憶に残る一枚の写真から物語ははじまる。

 主人公の“マナブ”のおぼろげな記憶と強烈な記憶。その記憶が入りまじった中にある、少年期だからこその友情と、無自覚な非情。これらは、どの世代でも多かれ少なかれ経験があると思う。

 だから、この物語の中にスーッと入っていってしまう。そしてその物語にまるで自分が加わっているかのごとく会話が進んで行く。

 しかし、ラスト近くになるとそこには、経験したことの無い事実が……。あわてて、そこからぬけ出そうとするが、ぬけ出せない自分がいることに気付く。後者の小説が前者の小説に変わり思わぬ方向にはまり込んでしまうのだ。

 このような物語を、楽しいと思う人もいれば、そうでない人もいるだろう。「手紙」や「写真」をモチーフにした小説はたくさん読んできた。感情を揺るがすには最高のアイテムだと思う。しかし、『サクラ秘密基地』の短編集は“写真”が単なるアイテムではない。そこには、少年期、青年期、中年期における、男と女、哀愁、憎悪、友情や裏切り……様々なものが込められている。色々な感情を見事な描写で語っている。それは冒頭で書いた、一枚の写真を大事にしていた時代背景がなければ描ききれないのではないか。

 先日、僕の母が亡くなった。八三歳だった。急な死だったため、葬式の準備もバタバタであった。

 その時に一番、頭を悩ませたのが、“遺影”だった。男兄弟四人、それぞれが母を想う気持ちが違うため、“遺影”に使う写真が決まらない。アルバムを本棚から引っぱり出してきては、「この顔は辛気くさい」だの「これは、老けすぎ」だの皆、口々に言いたい放題だ。余りにも決まらないので、僕が二年前に母と二人で行った北海道旅行の写真を、冗談で皆に見せてみた。そこには、大好きだったメロンを笑顔でほおばる母の姿がある。

 それは、まるで“遺影”になりそうにない写真だった。冗談のつもりでその写真を出したのだが、兄三人はそろって、その写真にしようと決めてしまった。僕は最後まで反対だったのだが……。

 朱川氏は、本の中に書いている。

“写真とは、真を写す”

 生前、母は食べることが大好きだった。肥りすぎだったため、晩年は医者から食事制限もされていた。笑顔で大好きな物を食べる母が、その母の顔が、八三年間生きた母の真の姿なのかもしれない。そう思うと冗談のような母の笑顔も、なつかしく、美しく思えてきた。

 あの写真を遺影にしたことは良かったと今は思える。

“サクラ秘密基地”

 この本には、決して格言や教訓があるわけではない。懐かしいアルバムを開くように読んでみてはいかがだろう。そして、読み終えた時、一枚、一枚の写真には、それぞれの思い出、それぞれの物語が必ずあると気付くはずだ。

 それを感じ取れれば、今度は本棚にある、少し忘れ去られたあなた自身のアルバムを開いてしまうかもしれない。

 そしてあなたの中にある、あなただけの物語が今から始まるはずだ。

文春文庫
サクラ秘密基地
朱川湊人

定価:737円(税込)発売日:2015年09月02日

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