さて、雑誌連載中には存在しなかった『往古来今』というタイトルだが、知っているようでありながら未知の四字熟語は、記憶の中で文字の順序が、よりなじみ深い〈古今〉や〈往来〉という熟語に分解されてしまいかねない曖昧さがありはしないだろうか。それに、この四字熟語は、私の手持ちの五冊の辞書には載っていないところを見れば、一般的に知られた言葉というわけでもないのだろう。
にもかかわらず、磯﨑憲一郎は二〇一三年二月の日付けのある単行本「あとがき」に、新たに選ばれたはずのタイトルについて一言も触れてはいない。作者には、小説のタイトルの意味や由来について説明する義務などありはしない、といわんばかりである。それを補足するかのように、「本」本体とは物理的に切り離されもする、カヴァーと帯が磯﨑憲一郎の小説集のタイトルである四字熟語を“説明”するのである。
往古来今…綿々と続く時間の流れ。また、昔から今まで。▽「往古」は過ぎ去った昔。「来今」は今から後。『淮南子(えなんじ)』斉俗訓(せいぞくくん)では「往古来今、之(これ)を宙と謂(い)い、四方上下、之を宇と謂う」とあり、時間と空間の限りない広がりをいっている。
――「新明解四字熟語辞典」(三省堂)より
さらに、装丁者である横尾忠則は、「往古来今」という観念的な古典的慣用句を、単行本の極めて平均的な判形である四六判(平均的に一八八×一二八ミリ)の表紙の四隅に配置してバラバラに分解し、二行の縦読みにすれば「古今往来」という、どちらかと言えばこちらの方が慣習的に意味の通じやすい読み方を示しつつ、左上から二行の横読みにした文字に(1)から(4)の読み順の番号を付けるのだ。画期的なタイトルのデザインである。
これはいったい、どういうことなのだろうか。文庫版のカヴァーにも横尾忠則のデザインの、単行本のカヴァーが使用されるのだろうか、と、私の好奇心は小説から離れ、もしかしたら、ある種の人々の間では、本自体から、もぎとられるように外されてしまうかもしれないカヴァーと帯へと広がる……。もちろん、文庫本の表紙にも本扉にも、奥付けにも、〈往古来今〉と書かれるのだから、何も気にすることはないのだけれども。
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