……頭のてっぺんからつま先までそっくり、流れに身をまかせ、《“自然”に浸された》身体。ところが、そうは言ってみても、やはり《さながら私は何か借りものの引用文で語っているかのような》気がする。
ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』
(佐藤信夫訳)
四字熟語と呼ばれる中国古典由来の言葉をタイトルに持つ磯﨑憲一郎の小説集は、文芸雑誌「文學界」にそれぞれのタイトルを持つ短篇として、断続的に五回にわたって掲載され(二〇一二年一月号から二〇一三年一月号)、二〇一三年五月に単行本として上梓された時にはじめて、『往古来今』と名付けられることになったのだった。
雑誌に連載されていた短篇には、素っ気ないほど平凡な調子で、短かく簡潔にそれぞれ、「過去の話」、「アメリカ」、「見張りの男」、「脱走」、「恩寵」というタイトルが付けられている。短篇集が編まれる時、タイトルは収められた作品の一つから選ばれるというケースが多いだろうが、この五つの言葉は、一冊の小説集のタイトルとしては――カフカが同名の小説を書いている「アメリカ」をはじめ、他の四つだって、どこかで見たことがあるような既視感を覚えるタイトルではないか?――いわば漠然としすぎて印象が薄いと思われかねないだろう。
とは言え、この五つの連作的短篇を収めた一冊の小説集の作者は、五つの短篇小説をまとめる物として、さらに漠然として茫洋としているうえに、類語(例えば、書物のタイトルとして「今古奇観」、「古今伝授」、熟語としては古今東西、古今無双)と既視感を発動させさえする四字熟語を選んだのであった。四字熟語の小説のタイトルと言えば(私の場合は)藤枝静男の「欣求浄土」、「厭離穢土」、「田紳有楽」といったタイトルを思い出すのだが、それはそれとして、『往古来今』と新たに名付けられて一冊の本となった小説集のタイトルは古典的で近より難い印象を与えもするだろう。しかし、同時に物語の広がりを連想させつつ、小説を読むという甘美で贅沢な幸福(と言ってもいいかもしれない)の時間を読者に与えてくれる、小説と呼ぶにふさわしい小説である。
小説を読むこと(書くこと、と言ってもほぼ同様かもしれないのだが)で私たちが経験する〈幸福な時間〉などというものは、しかし、幸福という言葉を使ったのが間違いだったかもしれないという疑いや不安や緊張を強いる奇妙で複雑なものかもしれない。
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