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血盟団事件とは、一体何だったのか?

血盟団事件とは、一体何だったのか?

文:平野 啓一郎 (小説家)

『血盟団事件』 (中島岳志 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 しかし、いかに腐敗していようとも、社会こそは、この世界の複雑な多様性を抱え込んだ現実である。そして、その変革のためには、決して純化し得ない実践(プラクシス)が求められる。もしその次元を捨象してしまうならば、なるほど、美しく完結した世界像が得られるであろう。そしてその必然的な帰結は、政治の否定である。

 興味深いのは、血盟団が、破壊のための行動に関しては、極めて積極的で、観念的な論者たちと交わっては失望し、その無力さを馬鹿にしている点である。

 しかし、著者が再三強調する通り、井上を始めとしてメンバーらは、一貫して「破壊」の後にあるべき肝心の「改造後の建設」への関心を放棄していた。これが、血盟団事件の最も皮肉な点である。

 藤井斉が、満州で「売薬して生活」している日本人を二、三人、中国人に殺させ、それを国際問題化させて、どさくさに紛れて革命を成就させることを大川周明から聞かされたという話が書かれている。この何とも暗鬱な、卑劣な計画に、井上が激怒したという件りは、彼の中の塩湖のように澄んだ純粋さを感じさせて、強い印象を残す。

 井上の目指した革命とは、一言で言えば、江湖の人の意識改革である。そして、彼らの行動によって、ひとたび日本人が覚醒しさえすれば、あとは必ずやそのうちの“誰かが続き”、“何とかなる”という楽観がある。そのためには、なるほど、彼らの行動には私心があってはならず、また、共感を阻むような不正があってはならない。――が、そのアナウンス効果をもたらすのは、彼らが憎悪の対象とする、まさに中間物たるマスメディアである。そして、彼らが夢想する革命の時系列の機能分担こそは、近代の社会構造の見事なまでの無意識の反映である。

 血盟団の中でも、最初期から井上の周りに集っていた「大洗グループ」の関心が、貧困を始めとする「内憂」であったのに対し、海軍の藤井や後に合流する四元ら東京帝大グループは、むしろ「外患」としてのロンドン海軍軍縮条約に革命への焦燥を募らせている。

 この二つの、一見、必ずしも結びつかないようなグループが行動を共にしたという点に、恐らくは、血盟団事件の秘密があり、著者の理解の深さがある。それを実現したのは、井上のカリスマであったろうが、その井上自身にせよ、大洗グループのみに取り囲まれていたのであれば、暴力革命は志向しなかったのかもしれず、陸海軍との連携といった壮大な計画には発展していかなかっただろう。血盟団事件そのものに於いては、この連携は成功しなかったが、これが冒頭の川崎も参加した五・一五事件へと連なることを考えるならば、このことの意味は、幾ら強調しても足りない。組織とその運動という意味では、ここには、キリスト教の最初期に見られた、ペテロに代表されるヘブライ語とヘブライ文化出身のグループと、パウロが代表するギリシャ語とギリシャ文化出身のヘレニズム・グループとの競争的な共存関係に似たものが見えている。血盟団の対社会的な求心力は、この内部の異質な要素の間の力学に負うところが大きかった。その潜在的な緊張関係は、戦後社会にまで生き延びた個々のメンバーの有り様にも見て取れるように思う。

 血盟団事件とは、一体何だったのか?

 今日の読者は、本書を、世界的な危機としての格差とテロという現実に於いて読んでいる。それは決して幸福とは言えない状況だが、だからこそ、それに知を以て果敢に応じようとする著者に深く敬服する。

血盟団事件
中島岳志・著

定価:本体920円+税 発売日:2016年05月10日

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