一九三二(昭和七)年、前蔵相の井上準之助と三井財閥総帥・団琢磨が相次いで暗殺される。世に言う「血盟団事件」は、怪僧・井上日召率いる血盟団によって起こされたものだった。「一人一殺」の境地に至った彼らは一体、何を見、何を考え、何を為したのか。
丹念な取材と資料蒐集で労作『血盟団事件』を著した気鋭の政治学者と時代を見つめ、時代を抉る作品を数々発表してきた俊英の小説家が、テロリズムから文学、宗教、思想に至るまで、刺激的な議論を展開した。
中島 平野さんが芥川賞を取られたのは、僕が大阪外大から京大の大学院に入った頃でした。平野さんが師事された政治思想史の小野紀明先生の授業を僕も受講していて、非常に大きく影響を受けている。七五年生れの同い年ということで、関心を抱かれている分野に共感することも多かったんです。
平野 『血盟団事件』面白く拝読しました。知らなかったことも多くあって勉強にもなりました。一冊の本としても終盤に行くにしたがって盛り上がりがありますね。決行に至るまでの緊迫感、例えば、四元義隆が九州で憲兵の尾行を撒くために計画が変更されるあたりなどは、どうなるんだ、どうなるんだとページを捲っていきました。もちろん、結末は分かっているんですが。
中島 平野さんは、『私とは何か』で書いているように、個のあり方を「分人」という概念で議論されています。僕もそこには非常に共鳴していて、これまでアカデミックな領域で研究してきたことと、非常に親和的だと思っています。
血盟団事件を準備したもの
平野 まず『血盟団事件』を読んでの印象から話しますと、血盟団は大きく農村部の大洗グループと帝大グループに分類できますよね。そこに、海軍、陸軍のグループなんかも含まれてくるわけですが、しかし両者の間にはテロに至る道筋において大きな違いがある。農村部の貧困の現実に直面し、義憤に駆られてというのが大洗グループの原点です。そこで率直に感じたのは、明治維新の志士に比べて、彼らはなぜこんなに暗く感じられるのかということ。明治維新は現在に至るまで、ある種の憧れをもって語られている。僕はひと頃、『ドン・キホーテ』のパロディとして、司馬遼太郎を読み過ぎた男が、坂本竜馬になろうとする小説を書こうと考えていたくらいです(笑)。
いつの時代も「明治維新」は憧れの対象だった。貧乏藩士に代表される、現体制に不満を持つ人々が、既成の枠組を超えた独自のネットワークを形成し、やがては国家という範囲すら超えて、イギリスのような列強と連携して革命運動を起こす。その過程は、非常にヒロイックに描かれてきました。ところが、血盟団事件には、そうした爽快さがない。
中島 それは重要な指摘で、明治維新と昭和維新の最も大きな差異は、「物語」の問題ではないかと思う。『坂の上の雲』は秀逸なタイトルで、司馬遼太郎が描くのは、まさに今、坂を上っている青年たちです。富国強兵、殖産興業なる国家目標を達成して、日本を何とか一等国にしたいと夢見る青年たち。国民国家の物語と個の物語が一体化していく、そういう時代の空気を鮮やかに描いている。しかし、その物語は日清日露の戦間期に幕を下ろす。
先駆的には北村透谷ですが、当時の思想・文学の界隈に「煩悶青年」が出てくる。明治第三世代にあたる人たちは、国家の物語に関心がない。自己の内面、いかに生きるか、恋愛至上主義、こういったことばかりを考える青年がエリート層から生まれてくる。それが一九〇〇年ぐらいのことです。特に一九〇三年、一高生藤村操が華厳の滝に飛び込んだ自殺が象徴的でした。
『血盟団事件』の主導者である井上日召はこの世代にあたります。彼は日露戦争に、死を希いつつ従軍する。彼自身も「内面の煩悶」を抱えていた。田舎社会でうまく生きられず、自己に対する承認も得られず、キリスト教のコミュニティからも離脱する。つまり坂を上り切った後、遂に雲の中に入り込んだ、明治人には理解できないような時代の青年だった。彼らがなぜ「国家」と結びつき、「維新」を掲げ凶行に走ったのかが僕にとっての大きな関心事です。だから正直なところ、司馬が描いた時代には主体的な興味がない(笑)。
そういうことを考えていたのは、九〇年代末の京都の何とも言えない雰囲気もあったんですね。阪神・淡路大震災があり、酒鬼薔薇事件があったあの時期の言いようの無い世紀末的雰囲気は、なかなか今説明してもわかってもらえないかもしれない。
啄木は非常に尖鋭的に問題を考えた人でしたが、政治的なエッセイを読んでいると、世代間問題を強く感じます。『時代閉塞の現状』で書いていたように、大学を卒業しても半分は遊民になって就職すらできない。そんなニートだらけの社会を作ったのは父兄の世代だったじゃないかという認識です。
しかし血盟団事件の頃まで時代が下がると、彼らにはそれほどジェネレーション・ギャップの問題は見られない。日露戦争から二十年ほども経ってますから、今生きている上の世代が悪いというより、もっと根本的な近代化そのものの問題と捉えられている。
中島 九〇年代後半、特に九五年は節目の年でした。一月に阪神・淡路大震災、三月が地下鉄サリン事件、戦後五十年で村山談話もあった。その年に噴出したのが「宗教とナショナリズム」という問題です。僕は当時から「宗教とナショナリズムと人間の実存」という問題を、政治の場面でいかに見ていくのか、を研究してきました。その経験からしても、九五年は物語の大きな転換点で、いわば藤村操の自殺のような年だったと思っています。
バブルの経済学的崩壊が九一年二月頃ですが、不思議なことに「ジュリアナ東京」は九一年五月に開店しているんですね。バブル崩壊後にバブルの象徴がオープンする。これは一体何なのか。つまり、経済学的なバブルは終結したが、バブルの物語はまだ終わっていなかったということです。『陽はまた昇る』という本が売れたように、まだ成長の物語は続くと思っていた。しかし九五年になると、もう物語を信じてはいられなくなった。当時の日経連が非正規雇用を増やしていこう、日本型経営はもう捨てようと言い出した。そんな時期に二十歳だった僕たちが立たされた地点は、百年前の世紀末辺り、それこそ石川啄木たちが置かれていた状況と非常によく似ていました。
平野 そういったアイデンティティー・クライシスの問題は僕自身のテーマでもあります。大学時代は楽しかったけれど、今思うとやはり暗かった。最初の就職氷河期を迎えた世代であったし、いい大学に行った人でもなかなか希望通りの就職ができなかった。
僕は就職問題は、アイデンティティーの実存的な危機において相当大きいと思います。かつての階級制度では、商人の家の子は商人で、そのことに誰も疑問を持たなかった。しかし近代は、社会が複雑に機能分化していく時代です。個々の機能に適宜人員を補充する必要に迫られますから、職業選択の自由を認めつつも、実のところ、それは職業選択の「義務」でもある。自分のアイデンティティーに相応しい職業を選べというわけですね。人生の目的を考える必要が生じる。勿論、独りよがりの願望を抱いても、社会がそれに応えてくれる保証はない。このマッチングのギャップのために、深刻なアイデンティティー・クライシスに陥るというのが、僕らの世代が実感したことでした。
こうしたアイデンティティー・クライシスは、漱石の『私の個人主義』にも見られる通り、実は明治になった瞬間から起きている。しかも別に日本に限った問題ではない。トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』で、個人が自己の関心だけに閉じこもり、かつて社会が保持していた有機的な関係性が崩れてしまった、と個人主義についてネガティブな書き方をしています。近代化を迎えて、個人がバラバラになった、そのことが一番大きかったと僕は思う。バラバラの個人に自由は委ねられているが、そこには常に実存的な不安、孤独が付きまとう。血盟団事件の根底には、それがあると思います。
井上日召に見られるのは、宇宙的な一なる大きな存在と自分が一体感を持っているという強い感覚ですよね。それゆえ、この一体感を中間で邪魔している存在を除かねばならない、ということが彼の思想の根本でしょう。何か有機的にがった大きな世界の中に自分が埋め込まれている、自分の存在はなんらかの存在論的な意味を持っているはずだ、にもかかわらず今この世界にとって意味があるということを自分は喪失している。日召の使命感と行動の根幹はそこですね。
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