本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
戦後民主主義を真に乗り越えるために

戦後民主主義を真に乗り越えるために

文:白井 聡 (政治学者)

『一九四六年憲法 その拘束』 (江藤淳 著)

出典 : #文庫解説
ジャンル : #ノンフィクション

 そしていま、事態が深刻なのは、戦後民主主義への支持が、こうした病的なわめき声に対する解毒作用として機能しなくなってしまったためである。逆に言えば、戦後民主主義へのコミットメントの心情が相対的に強力であったときには、「戦後的なるもの」に対する不条理な憎悪が広範に共有されることはなかった。戦後民主主義の価値低落、その決定的契機が何に見出されるべきかという問いに答えを出すのは、容易ではない。ただし、いま「平和と繁栄」とワンセットとして思念されるものとしての戦後民主主義が色褪せたものに見えるとすれば、われわれは本当のところそれが欺瞞に満ちたものであることをすでに長い間知っていたからではなかったか。「平和」が米国による核の傘を前提とし、「繁栄」が朝鮮戦争以来「対岸の火事」を大いに儲けの種として達成されたものであること――これらをわれわれは知っていた。知りながら、われわれは「平和国家」と「民主主義」を表看板に掲げてきた。もっと正確に言えば、知っていながら知らないふりをして、「平和と繁栄」の果実を享受してきたのではないか。

 こうしたぬるま湯的状況を破ったのは、やはりあの原発事故であった。原子力推進の経緯について知れば知るほど、この技術が軍事利用の可能性と不可分であることを見ずにはいられない。すなわち、発電のみならずフロントエンド事業とバックエンド事業にも膨大なエネルギーを投じるという経済的には完全に不合理な政策の追求は、潜在的核武装能力の涵養・維持を目的とする――非核三原則の建前の背後で――ものにほかならなかった。そして、原子力推進という国策の前には民主主義など微塵も存在し得なかった、という事実もやはり事故によって表面化した。あらゆる反対意見を封殺し、異論派を排除する原子力ムラの風土、そして政官・司法・財界・メディアが総力を挙げてこのムラを支えてきた有り様は、全体主義そのものにほかならなかった。要するに、原子炉建屋の外壁が爆発によって吹き飛ばされたときに、戦後民主主義のさまざまな外皮もまた、吹き飛ばされたのである。壊れた建屋の奥底にドロドロに溶けた核燃料という猛毒があるのと同様に、戦後民主主義の飛び散った外皮の中からは、得体の知れない、しかも高エネルギーの不気味な情念が噴出してきている。そして、今日の政治は、まさにこの不気味なものを権力基盤として成り立っているのである。

 してみれば、いま必要とされているのは、戦後民主主義に対する微温的な支持の言説ではない。反対である。戦後民主主義に対する最も本質的で鋭利な批判、これを検討し、内在的に乗り越えることによってしか、いま進行中の戦後民主主義の破壊的自滅への道行きを止めることはできない。江藤淳の戦後民主主義批判は、この作業において取りあげられなければならない筆頭の対象、古典と目されるべきもののひとつである。

本稿は「解説」の一部抜粋です。全文は本書巻末に収録されています。

一九四六年憲法 その拘束
江藤淳・著

定価:本体1,200円+税 発売日:2015年04月20日

詳しい内容はこちら

ページの先頭へ戻る