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本の内容が古びなかったことを喜ぶべきか、「変わらない日本」を嘆くべきか

本の内容が古びなかったことを喜ぶべきか、「変わらない日本」を嘆くべきか

文:池上 彰 (ジャーナリスト・東京工業大学教授)

『この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義 世界篇』 (池上彰 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 2012年4月から東京工業大学の学部生を対象に講義を持っています。私が所属するのはリベラルアーツセンター。理系の大学ですが、文系の一般教養も身につけてもらおうという組織です。

 最近は全国各地の大学がリベラルアーツ教育の大切さを強調するようになりました。専門性も大事ですが、その前に、人間としての教養が必要だと多くの人が考えるようになったからです。

 私が担当するのは、日本と世界の現代史や現代社会の仕組み、日々のニュースの背景分析などです。現代を理解するためには、その因って来たる所以を知らなければならないからです。

 この本は、そのうちの「現代世界の歩き方」と題した授業の内容をまとめたものです。同年秋に単行本を刊行したところ、幸い多くの読者を得ました。そこで、こうして文庫になりました。

 大学生向けの講義ではありましたが、現代人として知っておくべき内容だと受け止めてくださった方が多かったためと思います。

 東工大生は理系のエリート学生たち。その分、社会のことに関心が薄かったり、知識が少なかったりする傾向があります。もちろん全員がそういうわけではありませんが。そうした学生たちにもわかってもらいたいと考えて厳選した内容だけに、一般の人にも理解しやすいものになったのではないでしょうか。今回、文庫化に当たり、その後の情勢変化に合わせて加筆修正しました。

 単行本が出た後、日本そして世界はどう変わったのか。2011年3月の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故は、いまだに収束しているとは言えない状態です。原子炉の廃炉に向け、原子炉建屋や原子炉の炉内に取り残された燃料棒の取り出し作業は始まったばかり。まだ何年も続きます。2020年の東京オリンピックが開かれるときも、作業は続いているのです。

 さらに、原子炉の西側で豊富に湧き出る地下水が炉の下を通るため、そこで汚染されています。この汚染水が海に流れ出ていかないように、タンクに溜め続けています。タンクの数はひたすら増えています。

 そんな状態の中で、事故をきっかけに止まっていた他の原発は、再稼働に向けて動き出しました。

 しかし、運転を再開すれば、使用済み燃料棒は再び増え始めます。使用済み核燃料は、どこで最終処分するかが決まらないまま。

 とりあえず問題は先送りする。その体質に変化はありません。

 一方、日本周辺の領土問題も、解決の糸口は見えないままです。北方領土問題ばかりでなく、竹島をめぐって韓国と、尖閣諸島をめぐって中国と、いずれも摩擦は絶えません。

 世界のどこでも、隣の国同士は仲が悪いもの。そんな普遍的な傾向を理解しつつも、歴史問題をどう処理するか等々、課題は山積したままです。ここでも、過去の問題先送りが事態を悪化させてきました。

 では、日本国憲法の改正問題は、どうか。2014年、安倍晋三内閣は、「集団的自衛権」の憲法解釈を変え、日本国憲法は集団的自衛権を禁じていないという解釈を打ち出しました。

 自衛権には、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」があります。日本は、国家として自衛権を保持するけれど、集団的自衛権は、憲法第九条が禁止している。ゆえに集団的自衛権は持っているが使えない。これが、歴代内閣が、内閣法制局の判断に従ってきた見解でした。

 安倍内閣は、この見解を覆し、日本と密接な関係のある国の軍隊が攻撃を受けた場合、日本の自衛隊が協力して戦闘に加わることができると判断。閣議決定したのです。

 これに対しては、「憲法改正が困難だから、解釈を変えることで実質的に憲法を変えてしまった」という「解釈改憲」だとする批判が起きました。

 2014年暮れの衆議院総選挙で大勝した安倍政権は、2016年夏の参議院選挙にも勝って、憲法改正を実現しようとしています。

 単行本に収録した講義内容の時点より、さらに先に進んでいるのです。こういうときは、原点に立ち返ること。憲法の意味や解釈をめぐる歴史を知ることで、憲法をどうすべきか判断する材料を得られるのです。

 単行本が刊行された当時は、「アラブの春」の運動が大きく盛り上がっていました。北アフリカのチュニジアで始まった民主化運動は、瞬く間にエジプト、リビアに飛び火。さらにシリアでも反政府勢力が立ち上がって、内戦状態に突入しました。

 2015年初頭の時点で、民主化運動が一定の成果を上げたのは、チュニジアだけ、という事態になりました。エジプトは、いったんは民主的な選挙で大統領が選出されましたが、イスラム色が濃くなったことに軍部が反発。軍事クーデターによって、かつての軍事独裁国家に逆戻りしつつあります。

 独裁者カダフィ大佐を殺害して民主化が成功したかに見えたリビアも、反政府勢力が分裂し、互いに武器を持って群雄割拠状態です。

 さらに深刻なのがシリアです。アサド政権に反対する民主化運動は、内戦状態へと発展。武器を持って政府軍と戦う反政府勢力に対して、イスラム教スンニ派の国家であるサウジアラビアやカタールが支援。一方、イスラム教シーア派の国家イランは、アサド政権を援助。スンニ派とシーア派の代理戦争の様相を呈しています。

 この間隙を縫う形で、イラクとシリアにまたがる地域に「イスラム国」という過激組織が伸長。遂には「イスラム国家樹立」を宣言するまでになりました。

「イスラム国」は、反対する者を容赦なく虐殺し、女性や子どもを奴隷にするという、現代にあるまじき行為を繰り返しています。

 さらに「イスラム国」は、世界の支持者たちに対し、「自国でテロに立ち上がれ」と呼びかけました。これに呼応する形で、カナダでは連邦議会議事堂が襲撃され、フランスでは風刺新聞社が襲撃を受けるなど、各地でテロが頻発するようになりました。東西冷戦が終結しても、世界に平和は訪れなかったのです。

 単行本刊行から二年半経って、変化したこともある一方で、本質的な部分で、改善や発展の気配が感じられないことは残念です。

 しかし逆に言えば、この本に書かれた内容は、時間が経っても大きくは変わっていないのです。本の内容が古びなかったことを喜ぶべきか、「変わらない日本」を嘆くべきか。それは、この本を読んだあなたが判断してください。

 

 ソ連から独立を果たして24年が経ったバルト三国のひとつリトアニアの首都ビリニュスにて。

2015年1月

(「文庫版あとがき」より)

文春文庫
この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう
池上彰教授の東工大講義 世界篇
池上彰

定価:561円(税込)発売日:2015年03月10日

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