
ところが以後しばらく、作者の名前を見かけなくなる。本格的に再始動するのは、二〇一〇年十一月の『浅井三姉妹 江姫繚乱』からである。これを皮切りに、適度なペースで歴史小説を発表するようになる。そして二〇一四年七月、重要な転機が訪れる。徳川五代将軍綱吉の治世が始まった江戸を背景に、初めて架空の人物を主人公にした文庫書き下ろし時代小説『墨染の桜 更紗屋おりん雛形帖』が刊行されたのだ。その後、この作品をシリーズ化する一方、藤原定家が美貌の僧侶・長覚と共に和歌の謎に挑む「藤原定家●謎合秘帖」シリーズ、江戸に出てきた少女の成長を描く「代筆屋おいち」シリーズ、在原業平が藤原一門の闇を暴く『月蝕 在原業平歌解き譚』といった作品を矢継ぎ早に発表。文庫書き下ろし時代小説の新たな書き手として、大きく注目されて現在に至っている。また、二〇一五年十一月に刊行した『白蓮の阿修羅』では、奈良時代に実在した女性――光明皇后・藤原長娥子・教勝――の、三者三様の生き方を活写し、あらためて歴史小説家としての実力を見せつけた。
さて、作者の経歴はこれくらいにして、本書の内容に踏み込んでいこう。『白露の恋 更紗屋おりん雛形帖』は、「更紗屋おりん雛形帖」シリーズの第五弾だ。主人公のおりんは、京の老舗呉服商「更紗屋」の一人娘だったが、親と店を失い、叔父夫婦の店を頼って江戸に出た。しかし店は閉められており、叔父夫婦と長屋で暮らし、裁縫の腕前で給金を稼ぐようになる。ひょんなことから、江戸で一、二を争う新興の呉服屋「越後屋」の主に見込まれたおりんは、着物にまつわるさまざまな才能を発揮。「更紗屋」再興のために、一所懸命に働く。なぜか実在の人物や事件とかかわり、何度も困難にぶつかるおりんだが、「越後屋」の用心棒をしている訳あり浪人・桜木蓮次とも両想いになり、しだいに未来への希望が固まっていく。
そんな彼女が夢見ているのが、京で親しくしていた公家・清閑寺家の熙姫との再会だ。しかし熙姫には将軍家の側室として大奥入りの話が進められている。また、火事から自分を護って死んだ、初恋の相手の塚原右近のことも、熙姫は気にしていた。江戸のおりんと、京の熙姫。彼女たちの人生は、意外な形で絡まっていくことになる。
本書は、いつものシリーズのように、全四話で構成されている。ただし各話の繋がりは強く、長篇といっていいだろう。物語は、おりんが夢で、熙姫と『源氏物語』について語っている過去を思い出している場面から始まる。おりんが空蝉の君、熙姫が夕顔の君が好きだというところなど、まさにガールズトーク。微笑ましいものである。でも、そこに本書を貫くモチーフが胚胎しているのだ。幾つもの出来事で心を揺らすおりんが、『源氏物語』を想起しながら、ある気持ちに行き着く。そこが本書の大きな読みどころになっている。