『墨染の桜』『黄蝶の橋』『紅い風車』に続く「更紗屋おりん雛形帖」の第四巻をお届けする。楽しみに待っていた読者も多いだろう。巻を重ねるごとに面白くなる。掛け値なしに、今、最も「読ませる」時代小説のシリーズのひとつだ。
元禄初期の生活や風俗、社会、事件、政治などの骨太な歴史的背景と、すべてを失くした大店の娘の恋と友情と店の再建といった身近なフィクション。この二本柱が絶妙に組み合わされたのが本シリーズだ。本稿ではそれを「職業小説」「歴史小説」「恋愛小説」の三つの側面から見ていきたい。その三つが大きなひとつのテーマに収斂される、そこにこそ篠綾子の腕が光ることをおわかりいただけると思う。
だがその前に、まずはここまでの物語の流れのおさらいと、本書のアウトラインを紹介しておこう。
シリーズの始まりは延宝九年(一六八一年)の京都。主人公は大手呉服屋・更紗屋の娘・おりん。だが資金繰りに困って父は心労で急死し、店もつぶれてしまう。家も財産も家族もなくしたおりんは、ひとり傍に残ってくれた丁稚の末続と一緒に江戸の叔父を頼ることに。おりんは叔父夫婦とともに長屋に住み、いつか必ず更紗屋を再建しようと心に誓う。
おりんにはもうひとつ、叶えたい願いがある。京都にいた頃、身分を超えて親しくしていた清閑寺家の姫・熙子と再び会い、衣装を縫って差し上げるという約束をいつか果たしたいのだ。
更紗屋の再興。熙子姫との約束。このふたつが全巻を通した核になる。
一時は身投げまで考えていたおりんを助けた浪人の桜木蓮次や、おりんの能力を買う越後屋の当主・三井八郎兵衛高利、「雛形帖」をおりんに渡した沼田藩真田家・松姫との出会い。勘当されて行方知れずになっていた兄・紀兵衛との再会。おりんの裁縫の腕や服飾のセンスが試されるような難題や、更紗屋復興が遠のくような事件を、彼女は周囲の助けも得て、ひとつひとつ乗り越えていく。
そして第四作となる本書は天和二年(一六八二年)の師走、善次郎夫婦が更紗屋の名前で古着屋を始めようという、とてもめでたいエピソードで幕をあける。おりんも、越後屋番頭の義助から、新しいオリジナルな雛形帖(商品の見本帖)を考案するよう持ちかけられ、やる気を出している。
ところが、そこを襲ったのが天和の大火だ。善次郎叔父が古着屋を始めようとしていた家作も、そこに運び込んでいた古着もすべて焼けてしまった。また一からの出直しだ。
そんな中、おりんは新しい雛形帖のアイディアとして、ふたつのことを思いつく。ひとつは、生地の見本ではなく着物のデザインとそれを着た人物を描いたものにすること。そしてもうひとつは、実際にその着物を人に着てもらうことで宣伝する――つまりモデルを使うという方法だ。
モデルにうってつけの美少女がいる、と知り合いに紹介されたのは、先だっての火事の折に避難先の寺で出会った十六歳の娘・お七だった。本郷の八百屋の跡取り娘だというお七は確かに美人だったが、ある問題を抱えていて……。
と、ここまで読めば、ピンと来る人も多いだろう。火事。寺。お七。八百屋。そう、ご想像の通りだが、しばしお待ちを。先に「職業小説」の側面を見ていきたい。
呉服商の娘に生まれたおりんは、そのセンス、知識、そして縫製の腕も一流だ。そんな彼女のアイディア商法が、本シリーズの魅力のひとつである。
たとえば第一作『墨染の桜』では雛人形に着せる着物を作ったり、冷え性の叔母のために五本指の足袋を考案したりする。第二作『黄蝶の橋』では、真田家・松姫のために、姫の豪華な着物に合うような、絹のショールを製作した。第三作『紅い風車』では新商品の木綿の使い道として「外に着て行ける浴衣」を考え出した(当時の浴衣はあくまで室内着だった)。
そして本書では、着物のデザインとそれを着た人物の絵を一冊にまとめる雛形帖、つまりはファッションカタログを思いつく。同時にモデルを使うという発想をする。
おりんはお針子であるとともにデザイナーであり、ファッションプロデューサーであり、スタイリストなのだ。
これらの具体的なアイディアと、それが商売として成立する過程は、職業小説として実に楽しく新鮮な驚きに満ちている。二〇一一年のNHK連続テレビ小説「カーネーション」や、中島要の「着物始末暦」シリーズ(ハルキ文庫)のファンは、きっと本シリーズも気に入るはずだ。
本書のメインである人物絵を配した雛形帖は、実際にこの時代に登場している。最古の小袖雛形帖は一六六六年の『新撰御ひいながた』で、これは国会図書館のデジタルライブラリーに入っており、パソコンから閲覧が可能なので、ぜひご覧いただきたい。雛形帖なるものの雰囲気が掴めると思う。
ここで注目すべきは菱川師宣だ。おりんがこのアイディアを思いついたきっかけは菱川師宣の『浮世百人美女』だが、彼女がこの本を知る九ヶ月前に、菱川師宣は『小袖の姿見』という、まさにおりんが思いついた通りのファッションカタログを出版しているのだ(おりん、なぜそっちを見ない!)。また師宣は、この二年後に『当世早流雛形』という雛形帖も出しており、こちらもデジタルライブラリーで閲覧可能。
菱川師宣の父は金箔刺繍の縫箔師で、師宣も布地や染色、文様については玄人だった。そして、まだ時代が先なので作中には登場しないが、呉服商の息子で絵師になった人物に尾形光琳がいる。光琳とおりんの共通点について第二作の葉室麟氏の解説を参照されたいが、光琳も雛形帖を描いているのだ。
さあ、これが本書の「歴史小説」の側面につながる。
本シリーズは、おりんという架空の人物を主人公に据えながら、その周囲はガチの歴史史料で固めているのが大きなポイントである。もちろん、小難しい歴史は脇にうっちゃって、おりんちゃんの青春お仕事恋愛小説として気楽に楽しむのもいい。けれど歴史を知ると面白さは何倍増しにもなる。
おりんの考えた雛形帖が、まさにこの時代に誕生していたという史実。そこには服飾の知識を持つ絵師の存在があったという史実。それはとりもなおさず、元禄初期というこの時代が、町人文化が花開く入り口にあったことを意味する。同時に、おりんの発想は決して著者の恣意的なものではなく、この時代の商売として成り立つことの証明でもあるのだ。
本シリーズの歴史小説としての面は、たとえば『墨染の桜』での徳川綱吉の将軍継嗣問題、『黄蝶の橋』に登場する「磔茂左衛門」と沼田藩改易騒動、『紅い風車』のキリシタンの問題など、当時の大きな社会情勢が作品のバックボーンとなっていることでわかる。越後屋、柳沢吉保、松尾芭蕉、新井君美(誰?と思った人も、彼が遠からず改名すればわかるはず)といった時代の有名人も登場する。しかもそれがただの背景ではなく、おりんを巡る物語に直接絡んでくるからすごい。有名なあの歴史事件を、そんなふうにおりんと関わらせるのか、と。
それが本書では天和の大火だ。いや、八百屋お七だ。
井原西鶴の『好色五人女』で一躍有名になった八百屋お七。天和の大火で避難した寺で、吉三という見目麗しい小姓に出会って恋に落ちたお七は、火事になればもう一度会えるとばかりに放火の罪を犯し、火あぶりになる――というのが最も有名なストーリーだろう。浄瑠璃では、火付けではなく半鐘を鳴らすだけ(これも重大な御法度である)というパターンもある。こちらは吉三会いたしではなく、吉三の危機を救うための行為として描かれる。
しかし実は、その大部分が創作なのだそうだ。実際には歌学者の戸田茂睡が記した「御当代記」が唯一の歴史史料で、そこには「駒込のお七付火之事、此三月之事にて二十日時分よりさらされし也」と書かれているだけだという。事件の経緯も動機も、お七が八百屋なのかも何歳なのかも、はっきりと断言はできないのだ。なお、余談だが、戸田茂睡に興味のある方は篠綾子『梨の花咲く 代筆屋おいち』(ハルキ文庫)をお読みあれ。
閑話休題。そのお七の一件を篠綾子は本書に取り入れて、大胆な物語を作り上げた。八百屋お七のエピソードを知る読者は多いだろう。結果、どうなるか。読者はこのお七がこれから何をするか、先に知っているということになる。お七がおりんに告げる「恋」についての考え方の背後に何があるか、その思いがのちにどんな形で迸るか、読者は知っていて彼女の言葉を読む。彼女の行動を読む。それが切なさを倍加させる。お七の健気な、けれど必死な幼い恋の行き先に、読者はただ胸を塞がれ、固唾を飲むことだろう。
巷間伝えられているお七の物語をそのまま写したのではないことに注目。お七はなぜ付け火をしたのか、篠綾子オリジナルのそこが最大の読みどころだ。その動機におりんと越後屋が絡んでくる。お七がおりんの、越後屋がお七の、それぞれの運命を変える。こうくるか、と唸った。
歴史とは、年表に載っていることがすべてではない。そこには人の思いがあり、その思いが絡み合うのだ。放火という言葉はひとつでも、その裏に何があったのか、そこにどんな思いがあったのか、それが関係者ひとりひとりをどう変えたのか、そんな年表の背後にある心の行き来を、篠綾子は細やかにすくい上げる。すくい上げて縒り合わせて編み上げて、史実とフィクションを分かちがたいひとつの物語にする。これが篠綾子の歴史小説なのだ。
第三作『紅い風車』の解説で岩井三四二さんが、各巻タイトルの解題をなさっている。墨染の桜とは何のメタファなのか。風車は何を意味するか。『黄蝶の橋』を解説者の葉室麟さんがどう捉えたか。
それに倣って『山吹の炎』の「炎」が何を象徴しているかを考えるなら――明らかに、恋だ。本シリーズには最初から恋愛模様が登場していた。清閑寺家の熙子様の悲恋に始まり、おりんと末続と蓮次の三角関係は読者も気になって仕方ないところだろう。
慕い合うおりんと蓮次。けれどおりんも蓮次も、末続がおりんの夫となって一緒に更紗屋を営みたいと願っていることを知っている。浪人の蓮次では、商家の旦那が務まらないこともわかっている。恋か、家か。三人が抑えてきた思いが、あるいは見ないようにしていた現実が、お七と吉三郎の炎であぶりだされるように、彼らの目の前に突きつけられる。
火事の炎は、越後屋も、善次郎の店も、紀兵衛の職場も、焼いた。焼け出された子どもには深い傷が残った。恋の炎も燃え方次第では人を傷つける。我が身を傷つける。それを描くためにも、本書は八百屋お七の話でなければならなかったのだ。
さらに本書の終盤には、おりんと固い友情で結ばれた熙子の悲恋もこの三角関係に関わってきそうな気配まであり、いよいよ目が離せなくなってきた。
さて、私は冒頭で、「職業小説」「歴史小説」「恋愛小説」の三つの側面が大きなひとつのテーマに収斂されると書いた。そのテーマとは、女性の生き方、である。
本書にはさまざまな女性が登場する。悲恋ののち、政治的な理由で江戸城大奥へ入ることになる熙子(のちの綱吉側室・寿光院)。女性染師を目指すおみつ。恋に身を投じたお七。夫を失ったおしづ。病弱な体で、丁稚の少年を愛おしむおせん。既刊に登場した沼田藩の松姫や老女・杉下初音。
そして、腕に技術を持ち、仕事に喜びを見出しながらも、家のために添うべき男性と好きな男性の間で揺れるおりん。
元禄という安定した時代で、女性は少しずつ、自分で道を決めることができるようになっていた。けれどその一方で、厳然としてはずせない枠もあった。そんな女性たちの、さまざまな「雛形」が本書には、ある。
自分がしたいことと、周囲に望まれていることの齟齬。現代も同じかもしれない。「更紗屋おりん雛形帖」は、どうしようもない枠の中で、それでも決して後悔しないように、自ら決断し続ける女たちの雛形帖なのである。
最後になったが、著者・篠綾子について紹介しておく。
二〇〇一年、『春の夜の夢のごとく 新平家公達草紙』(健友館)でデビュー。その後、『義経と郷姫』『山内一豊と千代』(ともに角川書店)、『浅井三姉妹 江姫繚乱』(NHK出版)など、歴史小説を手がけてきた。
ブレイクポイントになったのは、二〇一四年に出た本シリーズ一作目『墨染の桜』だ。
これまでの路線を大きく転換した本シリーズで、一躍注目を浴びた。だがもちろん、従来の古典文学への素養と愛着がベースにあるのは変わらない。同年に出た『藤原定家・謎合秘帖 幻の神器』は藤原定家を探偵役に据えたミステリで、著者のお家芸が光っている。こちらもシリーズ化され、二作目『華やかなる弔歌』も二〇一五年に出版された。
前述の『梨の花咲く 代筆屋おいち』と、昨年十二月に出たばかりの『月蝕 在原業平歌解き譚』(小学館文庫)も加えると、書き下ろしの時代小説シリーズだけで一年半の間に七冊を出しているのである。
羽化した、と言いたくなるほどの活躍だ。
文庫のシリーズものだけではない。単行本の最新刊『白蓮の阿修羅』(出版芸術社)は、天平を舞台にした壮大な歴史ロマネスクだ。
これから先が実に楽しみである。息切れしないようにと願いながらも、それでもできるだけ早く次が読みたい――そんな矛盾する思いを読者に抱かせるような、まさに旬の作家なのである。
山吹の炎
発売日:2016年03月11日