現代で言うファッション誌を、江戸時代には「小袖雛形本」といったそうです。「更紗屋おりん雛形帖」というタイトルはこれを少しいじってつけました。
江戸に文化の花開く元禄時代は、この『黄蝶の橋』よりもう少し先ですが、やがて、おりんの周辺でも、江戸の町娘たちが小袖雛形本を見ながら、流行の小袖を買い求める日が来ることでしょう。
京の老舗呉服屋の娘と生まれ、江戸に出てから呉服商越後屋の女中となったおりんは、きっと小袖雛形本に深く関わったに違いありません。
おりんに、今で言うデザインやファッションの本格的な知識を与えた人物がいたとしたら、どういう人だろう。そんなことを考えながら、私は大名家の一つ土佐山内家を思い浮かべていました。
藩祖である山内一豊(かずとよ)の妻見性院(けんしょういん)は、名を千代といい、千代紙は彼女の名前からつけられたものだとか。そんな彼女を、私は昔、『山内一豊と千代』(角川学芸出版)という小説に書いたことがありました。
千代紙を作ったと言われる見性院のいた山内家なら、鋭い感性を持つデザイナーを輩出しても不思議ではありません。もちろん、大名家の人間が小袖雛形本の製作者にはならないでしょうが、おりんにその素養を与えるくらいならば、決してあり得ない話ではなくなる――。
そう思った私は、この時代に生きた山内家の姫君、松姫(まつひめ)に行き当たりました。彼女は、千代の血は引いていないのですが、一豊の養子となった忠義(二代目藩主)の孫に当たり、沼田藩主真田信利(のぶとし)の正室となりました。
江戸期の真田家といえば、あの「大坂の陣」で名高い真田幸村の兄信之(のぶゆき)の血筋ですが、松姫の夫である信利は、信之の孫に当たります。
しかし、歴史上高い評価を与えられる真田家の人にしては、この信利は異色でした。悪政を布(し)いて領民を苦しめ、最後には幕府によって改易されてしまうのです。
なぜ改易されたのか。
それには、江戸の両国橋が深く関わります。
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