「更紗屋おりん雛形帖」シリーズの特徴は、江戸の下町に生きる人々を描く市井(しせい)小説でありながら、骨太の歴史小説の性格も色濃く持っているところだろう。
時代小説だから史実をあつかうのは当たり前と思われるかもしれないが、本シリーズのあつかい方はかなり斬新である。
一作目「墨染(すみぞめ)の桜」で、「今は、延宝九(一六八一)年の一月下旬」と年代が明記されているが、ここからして他の市井小説とは違う。
江戸の市井に生きる人々の哀歓を描くだけなら年代を特定する必要はなく、雰囲気で江戸時代とわかるように書けば十分である。
小説に一層のリアリティを与えるために年代を特定するなら、文化文政期に設定したほうが何かと都合がいい。われわれ現代人が思い描く江戸時代のイメージが、およそこの文化文政期以降のものなので、風俗や町並みを描くときに余分な説明をしなくても済むのだ。
ところが文化文政期より百年以上も前の延宝九年となると、われわれの持つ江戸のイメージと史実とが、細かいところでずれてくる。
町並みを描くにも、よく参照される江戸切絵図は宝暦年間以降に出版されたものだから、そのままは使えない。大川にかかる橋もずっと上流の千住大橋のほかは両国橋だけで、新大橋も永代橋も吾妻橋もまだない。吉原はすでに浅草の田圃の中に移っているが、芝居小屋は江戸三座でなくて四座あった。
生類憐み令の前だから、庶民の食べ物として犬鍋なんてのも出てくるかもしれない。
つまり延宝から元禄にかけての時代を舞台にすると、市井小説のストーリー運びに重要でない事項も調べて、必要があれば説明を付けねばならず、書く方としては手間ばかりかかるし、読む方も煩わしくて、そのわりに益はないのである。
ところが読み進んでゆくと、作者はそんなことは百も承知の上で、あるたくらみをもってこの年代を選んだのだとわかる。
たとえば本作の「名物裂(めいぶつぎれ)」で、おりんが初音から木綿に適する衣裳を考えるよう、お題を出されるところ。
現代の感覚で見ているとわかりにくいが、これは木綿が国内に普及したばかりで、織り方も染め方も未発達だった年代だからこそ成立するエピソードである。
木綿は古くからある繊維だが、熱帯から亜熱帯が栽培適地であるため日本での栽培はむずかしく、庶民にまで広まったのは室町末期以降とされている。