- 2016.05.01
- インタビュー・対談
小説の流儀、映画の作法――横山秀夫(原作者)×瀬々敬久(映画監督)【前編】
「別冊文藝春秋」編集部
『64(ロクヨン)』 (横山秀夫 著)
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
執念がぶつかり合った脚本作り
瀬々 今回は役者、スタッフ含め気合を入れて臨みましたが、特に脚本作りには大きなエネルギーを注ぎました。改稿は二十二回にもなっていて。(佐藤)浩市さんも、脚本段階から参加して意見を述べてくれました。これだけの作品ですから、生半可な気持ちでは脚本を練り上げられないと思っていました。
横山 その気迫がひしひしと伝わってきました。だからこそ瀬々さんと論争することにもなって(笑)。仕事である以上真剣勝負ですから、こちらも瀬々さんや佐藤さんの真剣さに応えなければと思ったことは確かです。
瀬々 原作者の方とこれほど深い話ができたのは幸せなことでした。あいさつ程度では、到底わからない横山さんの思いを知ることが出来ましたし、それは映画作りにとっては、確実にプラスに作用したと思います。
横山 私は新聞記者をやめて作家になる前に、漫画の原作をやっていたことがあるんです。そのときに学んだのは、私が書いた脚本であっても、漫画家さんが一本線を引いた時点で、その話は漫画家さんの物になるという真実です。文法がまったく異なるので、同じものになんかなりようがないんですね。それが体感でわかっているから、今回も映画化のお話をいただいて、瀬々さんに作品を預けた時点で、原作に忠実でないとか、しのごの言う気はありませんでした。とは言うものの、脚本を読むのは原作者の義務だと思いますし、そこで感じたことは率直にお伝えしたい。だから脚本の初稿を拝読したとき、このラストはどうなんでしょう? と正直に違和感を申し上げました。もしかしたら、瀬々さんと佐藤さんは、映画で原作を凌駕しようという野望を持っているのではないかとさえ思った(笑)。
瀬々 いや、そんなこと考えたこともありません(笑)。小説ではラストで、三上があくまで広報官として「ロクヨン」に関わり、それまでの出来事を自分なりに消化していきます。でも映画では、広報官としての一線を越えて、一人の人間として事件と対峙する主人公を作りたいと思っていたんです。
横山 ひっかかったのは、まさしくその点でした。小説では、「たまたまが一生になることもある」というフレーズがサブテーマだったんですよ。自分の望む道で目標を達成するのは素晴らしいことだけれども、それは想像の範囲内の喜びでしかないんじゃないかと。不本意な道を歩かなければならなくなったとき、それでも腐らずに手を伸ばして得た収穫は、自分の想像をはるかに超えたものになるのではないか。それは自分のもう一つの人生を発見するほどの喜びを得ることでもあるかもしれない、という期待感を小説にはこめました。
瀬々 このラストについては、何度もお互いの意見を交わすことで、横山さんのこれだけは譲れないという立脚点や、どのような思いで書かれたのかを理解することができました。小説と違うラストにはなるけれども、横山さん的なものの見方、世界の捉え方は外せないし守りたいと思っていました。
横山 実は、最初の頃は瀬々さんが、なんでラストを変えることにそんなにこだわるんだろうって不思議でしょうがなかった(笑)。
瀬々 失敬なやつだと思われたんじゃないかな……。
横山 いえいえ、そんなことはありません。ただそこまでこだわる理由がわからなかった。でもやりとりをするうちに、こちらが言ったことに「ああそうですか」と簡単に折れてしまうような生易しさではなく、強い覚悟を持ちながら『64(ロクヨン)』に取り組んでくださっていることが伝わってきました。そして、さらにやりとりするなかで、自分なりに脚本の意図をかみ砕いたり、瀬々さんや佐藤さんが目指している高みを想像したりして、なるほど、映像作品としてはこの終わり方しかないだろう、というところまで突きつめることができた。結果として、原作にとっても映画にとっても幸福な棲み分けができたのではないでしょうか。
後編へ続く
映画『64(ロクヨン)』
http://64-movie.jp/
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