書評

吉田松陰の狂気を受け継いだ長州志士、品川弥二郎の生涯に一掬の涙を

文: 古川 薫

『志士の風雪』 (古川薫 著)

 平成元年(一九八九)、マツノ書店が村田峯次郎著『品川子爵伝』を復刻したとき、さっそく買い求めたのは、いつか書くことになるという予感あってのことだった。本棚で埃をかぶっていたこの書物が、四半世紀ぶりに眠りからさめて僕の机上にずしりとした八〇〇ページの重みを載せた。参考図書は多かったが、同書が最も役に立った。ただ残念だったのは品川弥二郎の履歴中、重大な事項として遺る明治二十五年(一八九二)の選挙干渉事件の記述を避けていることだった。

 正直に言って、僕にしても品川弥二郎の事績を追うにあたり、このことをどう扱うかが執筆の難関として浮かびあがっていた。そのためにも同郷の史家が書いた伝記が、どのようにこの事件を処理しているかを知りたかったのだが、つまりは失望したというほかはない。

 事件の顛末(てんまつ)は諸書が明らかにしているが、事件の裏にある未成熟な政党間の泥沼の闘争には目をむけないで、品川の無謀な行動がみずからの晩節を汚したものと決めつけている。責任をとって内務大臣を辞職し、実質的にすべての公職を追放された彼の人生の退き際の悲惨さは本文に書いた通りである。

 農業協同組合の歴史を語るばあい、その思想と組識をドイツからわが国に移植した功労者が品川弥二郎であることを明記しているのは出身地山口県の農協に関わる書籍にかぎられている。ほとんどはドイツ人ライファイゼン、日本では大原幽学、二宮尊徳を始祖として説き起こしている。

 ドイツ公使として赴任した品川が、その組織と運動の実態を知って自国への導入をはかり、その法制化にどれほどの苦心をしたかについて述べたものは、村田峯次郎の前掲書以外皆無といってよいだろう。

 ほかに品川弥二郎の功績に触れたものとしては、米坂龍男著『農業協同組合史入門』(全国協同出版)があるが、それさえも「信用組合法案は主唱者品川が有名な選挙干渉などのため政権から離れたことも原因となり、流産のまましばらくかえりみられなかったのです」といった記述にとどまっている。

 晩節にかぎらず、それまでの志士としての活動までも帳消しされるかたちで汚名をかぶせられた選挙干渉事件に触れなければ、品川弥二郎を書いたことにはならないというのが、僕の結論だった。

 国会に上程した信用組合法案は、業界と癒着した多数党によって簡単にしりぞけられた。国会で声をからす品川弥二郎の演説は、悲壮な懇願調になってゆく。

「資本家ハ益々ソノ資本投与ノ余地ヲ得ルト同時ニ小農小工商ハ大企業ニ圧倒サレ、貧富ノ懸隔マタ漸ク激甚ナラントス。……サキニ信用組合法案ヲ提出シタリト雖モ不幸ニシテ未ダ実施スルニ至ラズ」

 心血を注いだ法案が、紙屑のようににぎりつぶされつづけた末のいらだちが、ついに選挙干渉になって爆発するのだ。

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志士の風雪
古川薫・著

定価:本体600円+税 発売日:2015年08月04日

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