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「普通」の人々の「残酷」

「普通」の人々の「残酷」

「本の話」編集部

『独居45』 (吉村萬壱 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #小説

  私は動物愛護運動には違和感を感じますが、この理屈でいくと彼らは正しいという事になるわけです。動物より人間の方が地球にとっては遥かに有害で、人間が消滅するのが最も正しい環境運動の姿と言えます。坂下宙ぅ吉はそれを象徴的に行っているのでしょう。その意味で大いに期待して観た映画『地球が静止する日』は、私の乏しい映画人生の中でもワースト・ワンの作品でした。こんな愚作は見た事がありません。地球を救うために人類を抹殺しにきた筈(はず)の宇宙人が、なぜ思いとどまったのか私には全く理解出来ませんでした。そもそも人類抹殺という大事業が、一宇宙人の私情に任されてよい筈がないではありませんか! いい加減にしろよゴルァ! このハリウッド野郎めが! 失礼致しました。

──さんざん罵倒したあげくに「失礼致しました」と締め括るのは、作中作で、宙ぅ吉のものした(らしい)小説「女」の決め台詞(ぜりふ)ですね。本作に先立って刊行された短編集『ヤイトスエッド』や芥川賞受賞作『ハリガネムシ』では、ありていに言って、どうしようもない女たちをあからさまに、情け容赦なく描いておられましたけれども、今回は鬱々主婦にしろ、就職浪人生をふった女教師にしろ、いくぶんソフトというか、つまりは等身大の「女」を活写されています。そのあたり、意識されたのでしょうか? そうそう、吉村さんの女性観(!?)をちらと明かしていただけませんか?

吉村  坂下宙ぅ吉を取り囲む近隣住民達は、鬱々主婦や女教師に限らず「普通」を意識しました。こういう「普通の人々」が、実は「正義」の名の下に最も残酷な事を為し得る、という役回りです(それが奏功しているかはともかく、少なくとも坂下宙ぅ吉はそう考えています)。

  女性観ですか? 私の女性観など聞いても何の得もないと思いますが。沢田研二が「とにかく女は綺麗でなくてはいかん」と言った顰(ひそ)みにならって、取り敢えず「女は赤裸々でなくてはいかん」と言っておきましょう。高過ぎる教養や洗練された趣味、シャネルの鞄や美し過ぎる容姿などに私は殆ど関心がありません。世の女性達の多くがこういう方向に多大な労力とお金と時間を費やしていますが、その結果喜んでいるのは企業だけではないかという気がしています。それより、俄雨(にわかあめ)に濡れながら仕方なく走っている姿や、貧乏女が手櫛(てぐし)で髪を梳(す)く仕草、悲しくてただ泣いているだけの女の顔、愛情の籠もった見栄えのしない手作り弁当なんかに心を動かされます。余分な物は一切不要で、ただ無力で赤裸々な姿を晒している時、女性は最も愛(いと)おしい存在であります。絶望の中でも炊事や洗濯をしなければならないという苦役が、どんなダイエットや整形手術にも勝る女性の魅力を演出すると思います。苦労の滲む首筋や解(ほつ)れ髪の方が、念入りな化粧より余程魅惑的ではないでしょうか。男でも女でも、小さな石にも躓(つまず)いて転ぶような、苦労多き生き方をしている人間の方が断然味がありますね。才色兼備で順風満帆の人生を送っているバリバリのキャリアウーマンほど、私の食指の動かない人種はいません。尤(もっと)も、向こうから願い下げだと思いますが。こういう女性が突如人生に躓いて挫折し、空を見上げて神を呪詛(じゅそ)する時、彼女の本当の人間的魅力が燻(いぶ)し銀のような光彩を放ち始めるのだと思います。『独居45』の中では、坂下宙ぅ吉の書く小説「女」の主人公がそういう女性として描かれています。きっと坂下宙ぅ吉も、こういう絶望女が愛おしくて堪らなかったんでしょうね。

独居45
吉村 萬壱・著

定価:1700円(税込) 発売日:2009年09月26日

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