鎌倉駅|駅でのラストはただ「今」だけを書きたかった
──ヤドカミ様の描写、そして駅から慎一と母が電車に乗って去ってゆくラストシーンの余韻、このふたつは『月と蟹』を語る上で大きなカギになっていますね。
道尾 一人称でずっと主観を書くやり方だと、読者の目にも最初から慎一と同じヤドカミ様が見えている状態。でも『月と蟹』は三人称小説で、慎一が自分のつくった物語に段々と取り込まれていく様子が読者には見える。その上で最後の何十枚かの、慎一にとってのヤドカミ様が本当に出現してしまった状態を三人称でどう書くかは難しかった。見えないものをスケッチするというのはこれまで一回もやったことがなかったし、しかも書き損じたら全体が崩壊するという難所。プロットの頃の編集者とのメールのやり取りを見返してみたら「今回はいつになく難しいことをやろうとしています。失敗したらごめんなさい」って書いてるんですよ。ただ自分でもよくこんなこと書くなと思うんだけど「でも、大丈夫だと思います」とも書いてある(笑)。うまくいって良かった。
ラストについてはあそこで「そしてその後慎一は」ってやると、最初の一行から最後まで慎一の視点を守って一度もぶれさせずにきたのが台無しになってしまう。慎一にとってのラストシーンはただ泣き続けるしかないんです。明日どうなるとか、新しい学校に行くのかとか、そんなことは一切考えずにただ泣く、それだけで小説としては完結しているので、その先は読む人それぞれによって違うと思います。
──読者に委(ゆだ)ねるというのは、勇気もいるのでは。
道尾 誤解される可能性もそれだけ高くなりますよね。でも、みんなが聴いてみんなが良い曲だって言うポップスを作りたいわけではないから。魚でも、骨まで食える魚じゃ駄目。食べ終わってお茶を飲んでるときもどっかに小骨が引っかかっているような、小説はそうじゃないと駄目だと僕は思っているので。そこはこれからも変えないでしょうね。
──これから読む方のために引用は控えますが、“小骨”の残る忘れがたいラストシーンだと思います。
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