取材で企業の重役がふと本音をもらす―― 人間の悲しみを見つめる<記者の眼>がそこにあった
かつて藤沢周平さんの『風の果て』の最後の一行に強い印象を受けた。さりげなく締めくくられていながら、物語のエンディングとして鮮やかだ。なぜなのだろうといまも考えている。
藤沢さんが作家になる以前、業界紙の編集長をしておられたことは知られているが、わたしも地方紙で取材の仕事をしていた経験があるからか、この一行にかすかに同業の匂いを感じて、惹かれるのかもしれない。
『風の果て』の主人公の桑山又左衛門は、旧友である野瀬市之丞から果たし状を突きつけられ、戸惑いつつ、過去を振り返っていく。青春時代をともに過ごした四人のうち、寺田一蔵は非業の死を遂げ、杉山鹿之助は又左衛門の政敵となって争い、三矢庄六は出世せずに、藩の片隅で黙々と生きている。
言うならばサラリーマンの人生の縮図でもあるような物語だ。
思わず記者に漏らす本音
又左衛門は地方の藩の首席家老で、いわば大企業ではなく中小企業の重役だ。出世した成功者ではあるが、はなやかな印象はない。夢を見る場である小説の主人公としては、リアルで地味すぎるとも言える。
このような主人公は魅力的か? というテーマを抱えた小説でもあるように思える。なぜ、又左衛門のような人物が主人公に選ばれたのだろう。
奇妙な言い方になるが、作者が又左衛門に“会った”ことがあるからではないか。それは記者としての取材を通してかもしれない。
企業のトップや幹部は、組織の中で自分の弱みをさらすわけにいかないだけに孤独だ。部外者である記者と話すうちに、思わず本音や悩みをもらしてしまうということは間々ある。
わたしがある企業の社長を取材した際のことだが、ひと通り話を聞いた後で、「健康法は何ですか?」となにげなく質問すると「ゴルフです。週末はいつもゴルフに行っています」という答えだった。「それじゃ、奥様がおさびしいでしょう」と言うと、いや、と社長は表情を曇らせた。社長の糟糠(そうこう)の妻は数年前に亡くなっており、苦労を重ねて上り詰めた夫の晴れ姿を見ることはなかった。週末はゴルフに出かけるのも子供たちが独立して、妻のいない家庭のさびしさから逃れるためだ、と社長はぽつりぽつりと語った。
藤沢さんが、経営者や重役へインタビューした際に、会社の将来の展望から、仕事の苦労話、趣味や家庭などのプライベートな話にまで及ぶこともあっただろう。
たとえば取材に応じて新入社員だったころについて語り始めた重役が、いつの間にか同期に入社した同僚たちとの友情や確執、さらには物故した同僚にも言及し、どんな人物であったかなど話してしまう。
心温まる思い出もあるが、企業の中で出世したからには、誰しもが競争相手を蹴落としてきた苦い記憶から逃れられない。
記者に心を許して、思わず自分の過去を語ってしまった重役は、やがて話し過ぎたと我に返り、インタビューが終わると同時に、
――咳ばらいした。威厳に満ちた家老の顔になっていた。
のではないだろうか。『風の果て』の最後の一行は、インタビュー記事の秀逸な締めくくりのようでもある。
重役がふと見せた人間らしい素顔を見た記者としての経験が作品に生かされていると思う。
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