書評

ラスト一行の匂い

文: 葉室 麟 (作家)

「オール讀物」没後15年 藤沢周平大特集 より

取材で企業の重役がふと本音をもらす―― 人間の悲しみを見つめる<記者の眼>がそこにあった

重役の苦悩

 又左衛門や清左衛門のような小藩の要職にある人物は、藩士や領民の暮らしが立つよう政治を行うという重い荷を背負っている。出世して権力を握ることにためらいの気持を持たないが、一方で藩政を担う責務から逃げない。

 それゆえに嫉妬され、謗(そし)られ、軽んじられ、時に憎まれる。日の当たる場所に出て、しかもひとびとに称賛されるのは一部の恵まれた人間だけだ。

 現代の企業であっても同じことで、日々の責任を負い、粛々となすべきことを行うひとびとは、社会を支えるのに欠かせない存在であるにも拘(かか)わらず、目立たず脚光を浴びることはない。

 先頃、放映されたNHKの『坂の上の雲』で描かれた日露戦争での旅順要塞攻撃のように、犠牲となった兵士よりも乃木将軍に注目が集まる。乃木将軍の名は不滅でも、戦場に倒れた兵士の名は歴史に残らない。

 文字通り「一将功成りて万骨枯る」だ。ひとりの将軍の功名の陰には、戦場で散った数多くの兵士の屍(しかばね)がある。

 藤沢さんは功績を誇る「一将」にではなく、黙々と自らの任務を果たす「万骨」の側に立つ作家だった。取材を通して企業の現場で生きる「万骨」を知っており、自身もその中のひとりだと自覚していたから、英雄ではない主人公を描いたのだ。

 又左衛門は、藩の家老ではあっても功成り名遂げた英雄ではなく、あくまで藩のために力を尽くすひとりの藩士に過ぎない。小説の主人公としてというよりも、人間として魅力的だ。

『風の果て』の終盤で、又左衛門は旧友の庄六を訪ね、思わず愚痴をもらす。

「庄六、おれは貴様がうらやましい」
 と又左衛門は言った。
「執政などというものになるから、友だちとも斬り合わねばならぬ」
「そんなことは覚悟の上じゃないのか」
 庄六は、不意に突き放すように言った。

 突き放すように言いのけた庄六の言葉は、実は藤沢さん自身が言いたかったことではないだろうか。

 重役がインタビューを受けている際にふと苦悩をもらしてしまったおり、出世したからには果たさなければならない役目があるのではないかと指摘する記者が、藤沢さんだったかもしれない。

 庄六は、「情におぼれては、家老は勤まるまい」と言ったうえで、「うらやましいだと? バカを言ってもらっては困る」と又左衛門を叱咤するのだ。

 藤沢作品に描かれる藩の家老や出世したひとびとは、「万骨」の中のひとりとして生き、悲しみを負っている。

 その鬱屈(うっくつ)や慟哭(どうこく)を見逃さない鋭い眼差しは、取材の中で培われた〈記者の眼〉だ。

 虚構が事実の上に成り立つものだとしたら、百の嘘をつくためには、ひとつの真実を知っている必要がある。

 仕事を通じて、藤沢さんは社会の中核を担いながらも、自らを語らないひとびとの真実に触れたに違いない。

 無名のひとびとを癒す記者の視線が物語の中に込められているという気がする。

 だからこそ、藤沢作品は〈大人の小説〉なのだ。