書評

天下人たちの秘密

文: 島内 景二 (国文学者・文芸評論家)

『安土城の幽霊』 (加藤廣 著)

 加藤廣の方法は「歴史ミステリー」と呼ばれることが多いが、私は「物語としての歴史小説」なのだと思う。その物語の核心となるのが、秘密である。この秘密を読者が受け容れるかどうかは、作者の「語り口」が物を言う。「一 出奔」「四 対決」などという見出しの、何と簡潔で、何とスピーディーなことか。それに加えて、加藤が経営コンサルタントとして培った説得術が、彼の文体に説得力を持たせている。

 二十五かける二十五を六百二十五と暗算で即答した秀吉(藤吉)は、次のように語る。

《「下の桁の五同士を乗じて二十五。最初の二十五の二を一つあげて三とし、この三に次の二を乗じて六。この二つの数を並べまする」》

 読者がどういう理屈なのかは完全には理解できなくても、確かに結果は合っている。この不思議な論理性が、加藤廣の文体のリアリティであり、説得力なのではあるまいか。読者は加藤の語り口に、ぐいぐいと引きつけられる。大勝負に出た秀吉が、信長に強力な「気」を放ったように、加藤は読者に向かい、説得力という「気」を吹きつけるのだ。

 本書、異聞録の第二話「安土城の幽霊」は、信長の栄光の陰で不幸になった者たちを描く。多志(たし)という女性の数奇な運命が、「秘密」の物語を生み出す。一つ前に置かれた異聞録「藤吉郎放浪記」では、信長の愛人として吉乃(きつの)という女性が登場していた。その吉乃の娘が、多志である。異聞録に記されるエピソード群は個別に独立しているのだが、秘密がいくつも点在し、それらが地下水脈で繋がることで、歴史という大きな物語が流れ始める。異聞が、本伝へと発展してゆくのだ。

 この「安土城の幽霊」では、徳川家康と服部半蔵が、信長を苦しめる幽霊の謎解きに挑む。安土城に出現する幽霊の詮索に躊躇する半蔵に、家康が徹底的な探索を命ずる。

《上司とは勝手なものである。》

 作者自身の口から、ふと漏れてきた溜息のような語り口が、しばしば上司の理不尽な要求に苦しめられている現代サラリーマンの心に響く。確かにそうだ、と思った瞬間に、読者は半蔵と一緒に、否応なく「物語の秘密」と関わらざるを得ない立場になる。

 家康の漢方薬好き、困った時に爪を噛む癖、言い出しにくいことを口にする際に顎をなでる癖、生来のグズ、好奇心の強さと執念深さが、家康という天下人の輪郭を浮かび上がらせる。エピソードで人間性を端的に語る。これぞ、外伝の外伝たるゆえんである。

 さて、織田信長には、次々と居城を変えるという習癖があり、高い天守閣から人や物を見下ろすのが大好きであった。この信長の癖が、半蔵の安土城への侵入を容易にしてしまう。その半蔵は、主君である家康のグズとしつこさに呆れつつも、それが家康の最大の「取り柄」なのだと思う。

 人間の癖や個性は、プラスにもなればマイナスにもなるのだ。これが、人間の面白さであり、運命の不思議さであり、歴史の皮肉である。プラスとマイナスが表裏一体であるという認識は、幸福と不幸に関する思索へと読者をいざなう。阿弥陀寺の清玉上人との会話で、信長は永遠の命を願った。それに対して、清玉はこう答えた。 《「拙僧は、そのような永遠の命は望みませぬ」(中略)「そのようなことを望むことは天道にはずれることと思料いたしまする」》

「覇王」信長が願った天下布武、そして永遠の命は、はたして幸福への道だったのか。それとも、不幸への道だったのか。本能寺の変が起きる二年前の奇譚を語る「安土城の幽霊」は、人間の幸福と不幸があざなえる縄であることを暴きだす。

 と言って、抽象的で哲学的な思索が展開するのではない。エピソードの喚起力によって、読者はいつの間にか「歴史を通して人生を考える人」になってゆくのだ。

安土城の幽霊

加藤廣・著

定価:494円(税込) 発売日:2013年06月07日

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