本書、異聞録の第三話は、「つくもなす物語」。一つ前の異聞は、服部半蔵の述懐で終わっていた。「そう思った途端、なにか、この二ヵ月の安土城の幽霊話が、父から聞いた遠い遠い昔の物語だったような気がしてきたのであった」。この「物語」という言葉が抜け出して、次なる奇譚「つくもなす物語」の「物語」というタイトルを呼び出す。
「つくもなす」(九十九茄子〈つくもなす〉)、あるいは「つくもがみなす」(九十九髪茄子〈つくもがみなす〉)とよばれる壺は、茶道で珍重された名品である。十五世紀の初め、足利義満の時代に日本に渡ってきて、天下を夢見たあまたの男たちの運命を変えた。その中に、信長・秀吉・家康の三人もいたのである。彼らは、「つくもなす」に対して三者三様の対応をした。「ほととぎす」に託して三人の個性の違いを浮びあがらせた俳句は有名である。「つくもなす」という壺も三人の個性の違いを浮き彫りにする鏡だった。
この「つくもなす」は、三菱財閥の基礎を築いた岩崎家の蔵品を展示する静嘉堂文庫美術館(世田谷区)に、今も存在する。実在する事物の起源と、それが閲(けみ)してきた波瀾万丈の歴史を語ること。これもまた、物語の定義の一つである。
だから、本書の三つの異聞録の中で、この第三話が最も物語的である。しかも、「つくもなす」は本能寺の変と大坂夏の陣で、二度も火で焼けた。だが、二度も焼けたようには見えなかったという。ここに、「つくもなすは、本当に本能寺で焼けたのか。もし本能寺で焼けなかったとすれば、その所有者だった信長は、どこで死んだのか」という大いなる秘密の口が開く。物語は、一挙に危険な香りに満ちる。
やがて、加藤廣の巧みな語り口で、秘密が解かれる。読者の心には、何が残るか。それは、「人間の幸福と不幸は紙一重である」という認識である。つくもなすという名器には、二面性・両義性があった。持ち主に天下を取らせるというプラスの側面。だが、その天下は十年くらいしか続かないというマイナスの側面。
人間に幸福をもたらすので「天下壺」と呼ばれるけれども、人間に不幸をもたらすので「付喪神(つくもがみ)」が憑(つ)いているとも噂される。「つくもなす」の別名は、「つくもがみなす」だった。「つくもがみ」は「九十九髪」と書けば長寿の女性の白髪のことだが、「付喪神」と書けば古い器物が化けた妖怪変化(へんげ)という意味になる。長寿はプラスと幸福、妖怪はマイナスと不幸である。服部半蔵と共に、その秘密にたどり着いた家康は、天下人たちの中で、最も賢明な態度を取った。
大坂夏の陣で焼けたつくもなすは、細かな破片になっていた。名人の手で復元されたけれども、それまでの特徴だった「妖怪の眼」のような二つの白い箇所が消えていた。つまり、マイナスの「付喪神」が消えたのである。だがこれで、めでたし、めでたしとはならない。なぜならば、「付喪神」が消えるということは、「天下壺」というプラスの要素も消えたことになるからである。そこで家康は、この名器を復元した名人に下げ渡した。
天下を望んだ者たちの運命を翻弄した壺が、今は長い眠りに就いている。その壺が、加藤廣の口を借りて、自分がかつて幸福と不幸の双方の物語を作り成したのが、この「つくもなす物語」である。読者には、三人称の文体がいつのまにか、「つくもなす」という壺の一人称の自分語りのようにも思えてくる。
さて、本書を読み終えた読者は、天下人たちの得た幸福が、真の幸福だったのか、わからなくなってしまう。いや、読者だけではない。天下人本人も、この疑問を心の中で反芻(はんすう)している。
たとえば、秀吉。秘密の出自を抱えた彼は、太閤へと異例の大出世を遂げた。夢を実現し、「幸福」を手に入れた彼は、大坂城の天守閣に立って思う。
《(人は悲しい思い出だけでなく、懐かしい思い出も忘れるらしい)
秀吉は、ふっと、人間の営みの、やりきれないような、むなしさに、一人身を震わせたのであった。》
人間の真の幸福は、何か。実は、それこそが、人生最大の「秘密」であろう。その秘密を解く鍵が、加藤廣の「物語としての歴史小説」の醍醐味である。
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