『傾国子女』に登場し、ヒロイン・白草千春と拘っては消えていく男たちもまた、必ず無様で陳腐である。そして、救いようがないほどに破滅していく男たちの末路を追いながらも、「心地良く滅んでいくこと」自体を賛える。この作品もまた、男性の愚かさへの救いと愛にあふれている。男だって辛いのだと思う。女を抱いてみること以外に、命の懸けどころなんて教えられずに、生きていく時代だから。
しかし、本作が私や世の中にうじゃうじゃといる私のような女にとても鋭く痛く刺さるのは、千春自身もまた、美しい女として美しい女なりの惨めさや滑稽さを内包するからである。彼女は論理を超えて煌めく存在である反面、あまりに俗っぽく、くだらないその辺に転がった、とるに足らないありふれた存在でもある。
千春は確かに生まれつき美貌の原資を持っていたかもしれないが、彼女を美しい女に仕立てあげたのは彼女を溺愛しながらも、彼女を友人の医師に差し出して失踪する父親だ。千春は、彼女の美貌を莫大な額のオカネに換えて去っていった父親によって、自分自身の金銭的価値を教えられた。彼女はこの時点で、凡人としての人生を放棄させられ、その美しさが価値を持つ女として生きることを決定づけられている。千春のすごいのは、「美しい女」からあらゆる他の要素を削ぎ落としたような純粋な思想しか持たないところで、削ぎ落とされた他の要素、つまり聡明さや思想や打算は彼女の分身である甲田由里が請負い、愚かさや愛情はすべて男たちが引き受ける。
そして彼女は自分の美貌が引き起こすあらゆる事件に愚直に巻き込まれていく。一般人が聞けば耐えがたい、身が持たないようなことでも、本人意外とひょうひょうと流されていく。若くて可愛い彼女は、あくまである種の万能感に包まれている。
今まで私の心はいやなことがあっても、あくまでも軽やかで、澄んでいて、重く澱(よど)んだりすることなどなかったのです。なぜなら、私は愛されていたから。人に見下されたことがないから。そして、誰よりも綺麗だったからです。
周りの思惑や情念によって流されて転がり続けていく千春の人生は、女が女であるというだけで存在した場合に起こりうるあらゆる事象でうめつくされる。オミズに売春、ヒモ、愛人、児童虐待、ヤクザ、ホスト、波瀾万丈な記号の数々は実はどれもとてもありふれたもので、そのありふれたものの羅列にこそ女の本性が浮かび上がる。フツウはここまで引っかからない。多くの女は、人生で一度や二度のありふれた罠にかかることはあれ、知性や世間体や愛を使って他の罠を回避するのだ。しかし、純粋に女であることや美しくある万能感を全うする千春は、ころころと転がり続ける。「枯れ美女」になるまで転がり続けた千春の滑稽さは、若いまま死んで肉体を放棄し、崇高な存在となった東電OLとは対極にある。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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