インタビューほか

天安門から遠く離れて

「本の話」編集部

『時が滲む朝』 (楊逸 著)

天安門へ行く

――天安門事件当時はどうされていましたか。たとえばその時点で在日中国人として、なにか我々が知り得ない、別のネットワークから入ってくる情報というのはありましたか?

 私は、五月の二十七日ぐらいに中国に帰ったんです。周りの友人たちは、「帰っちゃだめ、危ないよ」と言う。翌朝帰るという、その前の晩に友人から電話があって、「天安門に軍隊が入る」と。「だから、もう帰っても北京に入れないかもしれない」と言うの。中国人はみんな大袈裟(笑)。中国をよく知っているので、大袈裟に考える。そうすると、私はどうしても帰りたくなるんですよ。

――言われれば言われるほど、帰りたくなる?

 そうです。もう「帰る、帰る」と言って。で、帰りました。そのとき、私はお金もないのにね、すごいでしょ。大学に行くつもりで貯金していたんですけれども、それを全部使って、北京まで飛んだ。友人が空港まで迎えに来てくれました。バスで市内に入るんですけれども、市民が道路沿いにずっと並んでいて。中国人は寝るの早いんですよ(笑)。いつもなら夜の十時、十一時過ぎたら、外にはもう誰もいない。ところが、あの夜はすごく暑かったので、道端にだらしない格好の人たちがダーッと並んでいて(笑)。ある程度走ると停められて、中に兵士が乗っているかどうか市民がチェックする。

――その市民たちは、民主化勢力のほうですか。

 そうなんです。そういう光景を初めて見たので、「わあ、すごいな」と思って。町中が興奮していました。その友人の家に何日か泊めてもらって、ハルビンの実家へ戻りました。だから、六月三日の事件の夜は北京にはいなかったんです。「妹を連れて、北京を見てくるよ」と言ったら、うちの親がすごく反対した。でも「一生に一回あるかないかくらいのことが起きているんだから、絶対行くよ」と。なぜか「大連から山東省に行って、それから北京に寄って戻る」というふうな話になった。

――でも、妹さんは学校はないんですか。

 高校生だったんですけれども、でもどうしたんだろう。多分学校に行っている場合じゃなかった(笑)。そこで、三日に山東省の済南に着いたら、「汽車が間もなく不通になる」というニュースを聞いて、その足で北京に向かったんです。私と妹が乗った汽車は、多分北京へ入れた最後の汽車だと思います。でも、着いたのは四日の朝でした。

――事件後ですか?

 そうですね。すごいね、何でこんなに変わるのかと思うくらい北京の空気がちがった。まず私は妹を連れて、安い小さなホテルに泊まったんですね。毎晩のように警察やら何やらがやって来て、私たち二人を見張っているような感じでした。「勝手に外を出歩いちゃだめよ」とかいう感じで二週間。毎日、屋台のラーメンばかり食べていた(笑)。美味(おい)しかったんですよ。いまでも妹とよく話します。

――そのときの体験が作品にも活かされているわけですね。

 そうですね。私は、天安門事件を経験して日本に来て、日本の民主主義を体験したわけだから、そこにもなにか意味があるのではないかとは思います。少なくとも私が書いたものを、少しでも社会に反映させて、文学作品として生命力を持たせたいという気持ちが強くあります。

時が滲む朝
楊逸・著

定価:本体429円+税 発売日:2011年02月10日

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