狂を発したとしか思えない人物を中心に置き、その周囲で起きた異変の謎解きをするという形式の物語である。円山文吉がその中に身を置いていた、ある「ルール」の存在が判明すると、不可解に見えた出来事の連関が見えてくるようになる。飴村は隠れたストーリーテリングの名手だが、その美点が最大限に発揮された形だ。プロットは地下に降りていく回廊のように迂遠であり、読者は長く歩かされる。しかし、その道のりは決して退屈なものではないのである。道中には刺激的なイベントが十分に用意されている。さながら血まみれジェットコースター、周囲で亡者が舞い踊るメリーゴウランド、この過剰なエンターテインメント性こそ、飴村小説の真骨頂だ。
円山には人の死ぬ日まで言い当てる力があった。予言をされた者の1人は「海坊主になりたい」と呻いて絶命したのである。その奇妙な一言をも、きちんとピースとしてはめこんで謎解きは完了する。そこからの展開が特筆すべきもので、不明な点はなくなるのに、後には割り切れない思いだけが残る。目の前で沈没船からの最後の救命ボートが出ていってしまったような気持ちとでも言おうか、カタルシスを読者に味わわせながら同時に絶望の淵へも叩き落すという荒業をこの作家は得意とする。ああ、しかたないと納得しつつ地獄へと落ちていく感覚は癖になる。こうして誰もが飴村行中毒になっていくのである。
同時収録作の「水銀のエンゼル」は、若手の男性作家・藤村晃介を主人公にした物語だ。晃介はもともと医大生だったが、ドロップアウトし、不毛なフリーター生活を送った後に作家に転じた。雌伏期間に母親が亡くなり、葬儀の後で父親から彼は、大学に入り直したつもりで4年間やりたいことをやって人生を立て直すように、と言われる。それで一念発起して小説の新人賞に応募してデビューを果たしたのである。実はこのエピソードは、飴村行自身の体験を元にしている(配役など細部は変わっているが)。
「水銀のエンゼル」は一種のボーイ・ミーツ・ガール・ストーリーであり、飴村の分身に見える人物が恋愛話の主役を務める。ちぇっ、いい気になってやがる、とお思いになる読者も多いだろうが、それが罠なのである。バレンタインデーにもらったチョコレートのような甘い甘い話かと思って油断すると、とんでもない目に遭う。その読み味を喩えるならチョコレートにくっついた銀紙を噛んだときのような素敵さである(あれはガルバニック電流というものらしい)。あの感じをわざわざ体験させてくれる飴村行はなんて親切なんだろうかとつくづく思う。今度会ったら死ぬほど銀紙噛ませてやるから覚えとけ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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