今夏、木村大作監督で映画化される『春を背負って』は、笹本さん曰く「山里小説」であり、今作はそれ以前の『天空への回廊』、『還るべき場所』に連なる本格山岳小説の系譜にある。
主人公・津田悟はアラスカ在住の山岳ガイド。オフシーズン(厳冬期)にはマッキンリーで様々なルート踏破に挑戦する孤高のクライマーだ。大学時代、親友の吉沢國人(現在は氷河学者)と山岳部に所属し、二人は国内で知られた存在だった。その山岳部でのヒマラヤ遠征で、仲間を見殺しにしたとして、津田は激しい非難を浴びる。彼は退部届けを出し、先輩の伝でアラスカに移住し、アラスカ先住民研究者の祥子と出会って結婚した。
『天空~』と『還るべき~』はヒマラヤが舞台だが、なぜ今回、マッキンリーを選んだのだろうか。
「マッキンリーは植村直己、山田昇が命を絶った、日本人には馴染みが深い山なんです。また緯度が高くほぼ北極圏にあり、麓からの高さはエベレストを凌駕し、独立峰のため気象条件が複雑です。厳冬期に登るには、最も厳しい山かも知れません」
その津田がマッキンリーで消息を絶ち、日本から吉沢が駆けつけるところから物語は始まる。吉沢は三年前、津田と共にマッキンリーに登った。その時津田は、「マッキンリーは魂にとっての魔物」で「あっちの世界へ引きずり込まれそうになる」と言っていた。
「古典的ですが、津田を通じて山に登る意味を問いたかったのです。山に登る行為それ自体は無意味で、ひいては生きることそれ自体が無意味だと思う。無意味なことに生命を賭けるとはどういうことなのか、それが最も純粋な形で表れるのが山なのだと思います」
その問いかけを補強するのが、津田がアラスカで出会ったインディアンの長老ワイズマンの数々の言葉だ。津田は彼の深い知恵に導かれ、恩返しとしてインディアンを経済的に潤すためにホテルビジネスを立ち上げる。そのとき祥子のお腹には新しい生命が宿っていた。一見、世間的な幸せを掴もうとしている津田が、生命の危険を冒して一人、マッキンリーに向った。決死の思いで津田の救出に向う捜索隊や、津田を信頼して帰りを待つ人々もまた、否応なくそれぞれの人生と向き合う。
「山に登る意味があるとすれば、山に登ることに対する問いかけの連なりにしかない。そしてそれはまさに、言葉の連なりである小説という形でしか表現できないことだと思います」
津田は生きて帰れるのか、そして津田が生死の境で見た光景はどんなものだったのか。その謎に読者も引き込まれ、最後まで一気に読ませる。
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