昔、勤めていた会社の休憩室に、古いコーヒーメーカーがあった。
コーヒーが落ちきって少し経つと、「ぱふっ」という音を立てていた。蒸気が漏れる音だ。背後で聞こえる「ぱふっ」は、まるでコーヒーメーカーが大きな息を吐いているかのようだった。
──退職して二十年もの間、一度も思い出したことのないこんな記憶が、本書の最初に収録されている「新しいビルディング」を読んだとき、いきなり甦ってきた。仕事で大きなミスをしたとき同僚のクミコがコーヒーを淹れてくれたこと、その時の「ぱふっ」がため息のように聞こえたことまでが、まるでマジシャンがするすると繰り出す万国旗のように繋がって思い出された。驚いた。私はこんなことを覚えていたのか。
本書の解説を依頼され、まずは読んでみてからとページを開いた最初の作品でこの不思議な気持ちを味わった瞬間、私は解説を引き受けることを決めた。書きたい、と思った。
「新しいビルディング」は、粗筋にまとめると至極簡単になってしまう短編だ。ふたりきりの部署なのにさしたる会話もなかった先輩が会社を辞める、自分は残る。言ってしまえばそれだけの話なのである。ところがそれだけの話が、二十年も前の個人的な記憶を、しかも本書のストーリーとは何の関係もない記憶を呼び覚ました。
これはどういうことか。
主人公のマミコは、業務に必要なこと以外殆ど会話のない先輩フジクラを、やや鬱陶しく感じている。嫌い、というほどはっきりした気持ちではないが、彼女がいると「疲れる」のである。
そのフジクラが、妊娠して退職するという。彼女が既婚者かどうかも知らなかったマミコは驚くが、だからといって何も変わらない。代わり映えのしないルーチンワークに引き継ぎが加わっただけだ。
けれどここからのマミコの、外には出ない感情の微妙な起伏の描写が見事なのである。
フジクラを見つめて感じたこと、考えたこと。だからどうするとか、何か行動するとかではなく、マミコの内面でだけ生まれ、はじけて、そのままどこかへ吸収されてしまう思いの数々。それを青山七恵は適度な距離感を保ちながらリアルに、細やかに紡ぎ出す。
その象徴が、音だ。
マミコとフジクラのいる会社の向かいでは、ビルの建築が進んでいる。二月にはまだ低かったビルが、四ヶ月経ってマミコたちのいる階と同じくらいの高さまで伸びた。現場の槌音も近くから響いて来るようになった。そんな折り、フジクラは最後の出社日に「最後ですし、ちょっと休憩しませんか」と言ってお茶を入れるのである。
「(フジクラは)キャビネットの脇に置いてある急須に茶葉を入れ、ポットのお湯を注いだ。いつもはビル建設の音にかき消されてしまうような音なのに、今日に限っては、どの金属音よりも耳の近くで聞こえるような気がした。」
巧い、と思ったのはここだ。そして私の記憶が呼び覚まされたのも、ここだ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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