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『お別れの音』解説

『お別れの音』解説

文:大矢 博子 (書評家)

『お別れの音』 (青山七恵 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 お別れ、と書いたが、実際に本書で描かれるのはそこまで行かない、すれ違いと言った方が合っているようなエピソードが多い。誰との別れか、誰とのすれ違いなのかは、作品によっては複数の受け取り方が可能なのでここでは紹介せず、読者の判断に委ねたいが、少なくとも共通して言えるのは、すれ違いだからこそ、その出来事が彼らの人生を大きく変えたりはしないということだ。しかしそのすれ違いが、彼らの中に自分ではそれと気づかないほどの小さな、けれど確かな変化を生んでいることに注目。自分の中に芽生えた変化を、彼らは無意識のうちに育てていくのである。

 もうひとつ、本書の作品に共通していることがある。こんなささやかなすれ違いであっても、彼らは相手のことをおそらく忘れないだろうということだ。好きとか嫌いとか何をされたとかではなく、そういう人がいた、ということをたぶん彼らは忘れない。そのときの感情の揺らぎとともに、心の底の方にずっと残している。たとえ普段は表に出てこなくても、私がコーヒーを入れてくれた同僚の名前を二十年経っても思い出せたように、どこかに残している。

 その思いはふとした瞬間に──ポットからお湯を注ぐ音や、ドアが閉まる音を聞いた瞬間、見慣れた風景の中に何かを見かけた瞬間に甦る。具体的な記憶でなくても、私たちはそのときの小さな感情の振れを思い出し、「あれ?」とちょっと足を止めるのだ。立ち止まって「何だっけ今の……」と思い、そしてまた歩き出す。

 本書は、そんなささやかな「何だっけ今の……」を手のひらにのせて「ほら」と差し 出してくれるような、そんな作品集なのである。

 青山七恵は二〇〇五年、『窓の灯』(河出文庫)で文藝賞を受賞してデビュー。二〇〇七年に二作目の『ひとり日和』(河出文庫)で第136回芥川賞を、二〇〇九年に短編「かけら」(新潮文庫『かけら』所収)で最年少で川端康成文学賞を受賞と、早くからその才能を開花させてきた。

 これまでの作品もそうだし、本書に収録された六編だけ見ても、さらさらとした透明感溢れるものから、冷徹で残酷な視線が光るものまで、読んだときの印象はさまざまだ。しかしいずれも、ひとつの単語で言い表すことの難しい心理を丁寧に汲み上げた小説であるという点で共通している。

 感情の起伏を切り取る力、すくいあげる力。それが青山七恵の作品の骨格と言っていい。本書にはその力が余すところなく注ぎ込まれた六編が詰まっている。その鋭くもしなやかな技をどうか楽しんでいただきたい。

お別れの音
青山七恵・著

定価:567円(税込) 発売日:2013年09月03日

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