一作目だけで与えられた紙幅の半分以上を使ってしまった。それだけ「新しいビルディング」で展開される、放っておけばそのまま消えてしまうような感情の揺らぎの描写に圧倒されたわけだが、二作目以降もそれぞれ、日々の中のとりとめのない、けれど確かにいつもとは違うほんのわずかな感情の起伏を見事に描いている。
二作目の「お上手」では、ヒロインの万梨子が付き合うことになる男性と初めて一緒に食事をした場面の描写がいい。
「これからこの人を知っていくのだ、という心地よいあきらめが、舌に残るコーヒーの苦みと一緒にじんと頭にしびれた。」
男性とつき合い始める決意を「心地よいあきらめ」と表現する。すごい、と思った。ところがそれで終わらない。後日、万梨子は修理に出した靴を引き取りにいく。決して恋心ではないが、以前よりやや意識していたその職人に見つめられたとき「わたしは、自分という人間がラックの中身のようにすっかり入れ替えられてしまったように感じた」のである。
選ぶ単語の意外性と的確さという技術もさることながら、やはり光るのは感情を拾い上げる巧さである。だからどうする、とは書かない。このとき彼女の耳を打つのは、職人が扱う機械の金属音だ。「新しいビルディング」のマミコにとって、ビル建設の槌音やお湯を注ぐ音が「お別れの音」だったように、万梨子にとっては靴職人が金属を削る音が「お別れの音」なのである。
『お別れの音』という本書のタイトルは、収録作からひとつを選んでつけたわけではないことに注意されたい。表題作は存在せず、この短編集の総合タイトルなのだ。どれも何らかのお別れが、それを象徴する音なり何なりと共に描かれている。
「うちの娘」ではドアの閉まる音が(このラストの一文の巧さと言ったら!)、「ニカウさんの近況」ではよくある間違いメールが、「ファビアンの家の思い出」ではスイス旅行の最中にホストファミリーの父親が囁きかけてくれた意味のわからない言葉が、主人公の「その瞬間だけぱっと浮かんで、でもすぐに拡散して消えてしまうような、そんなあやふやな感情のわずかな起伏」を描き出すためのトリガーになっている。
「役立たず」だけはちょっと異色の、ミステリ的風味の物語だが、これもまた宅配業者が受け持ちの家庭の匂いを覚えているというくだりに、記憶の紐付けを連想した。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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