過去においておそらく最も体制に対する恐怖、批判を掲げていた『ファイアスターター』には、テーマをやんわりと包みこむエンターテインメント志向があったが、そういった柔らかな手触りは本書にはない。『IT』という完成形以降の作品と同様、無邪気を逃げ道に子供が物語の中核を担うこともない。有事における人間の行動のショウケースを、キングは己の最も得意とする舞台の中で、成熟した大人の目線でもって紡いでゆく。
ここにおいてこれまでの作品のような単純な善悪の対立は体を成さない。上巻まるごと費やされた悪意の浸透は、下巻になって雪崩のように襲いかかってくる。
閉鎖空間における怪異を描いた『霧』や『呪われた町』とは逆に、怪物は最初から内側にいる。そして日常の中、善良だと思われていた者たちが(あるいは自分自身そう堅く信じて疑わなかった者たちも)恐ろしく簡単に一線を越えてゆく。
『ザ・スタンド』のような作品を前に多くの日本人が今ひとつ同調し難かったであろう西洋宗教的な二項対立の概念がここではさらに複雑なものになり、現代の病理ととことん寄り添うことで、これまでのキング作品以上にリアルで身近な恐怖を突きつける一作となった。
これほど人間の側のドラマのみを追ってきた物語の中で、ドームの存在理由はどこにあるのか。これはどんな意図をもって出現したものなのか。
それは読者各々が複雑な感情と共に如何様(いかよう)にも読み取ることだろう。ドームの来歴とその裏に潜む意思は、表面上実にキングらしいものである。ただし作家がこれを単純な悪意として捉えなかったことは、ここ数作のキング作品を読み解く上での重要な鍵になる。
人間の側の白と黒にけっして染まることなく威容を誇って聳(そび)え立つドームと、それを巡る顛末が終息を迎えたとき、過去のどのキング作品よりも読者の心には複雑な波が湧き起こることだろう。祈りにも似た響きがこだまする最後の言葉が静かに消え入るとき、そこに立ち現れるのは悲しすぎる現実世界を前にした諦観などではなく、たった一つの限りなくシンプルな、そして何かを変える意思に満ちた力強い回答である。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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